怒りについて(2)

日 旧暦12月29日 仏滅 壬午 一白水星 Vincent Viktor 3e. trett.d. V03 22993日目

怒りと悲しみとは同じ感情から発していると思う。自分が正しくて相手が間違っていると思えばそれは外を向いて怒りになるし、自分も悪かったとか、やむをえなかったとか思えばそれは内を向いて悲しみになる。だから自分自身への怒りというものは存在しない。どんなに自分が正しいと思っても、それは自分本位の考えに過ぎないのであるから間違っていることもある。自分の方が間違っているのに相手を怒鳴りつけて後でばつの悪い思いをすることもある。因果関係はうんと過去の深いところから引きずっていることもあるから、自分が生まれてこの方の目に見える原因からだけ合理的に結果を引き出そうとしても間違えてしまう。人間の住む世界には、法治国家であれば司法制度があって、悪いことをすれば裁かれるようになっている。しかし、これとても人間が人間を裁くのであるから間違いも起こりうる。その点、もっと大きな因果応報の摂理にすべての審判をゆだねるなら、決して間違いは起こらない。信仰とはそういうものだ。「復讐するは我にあり」とは本来僕たち人間に許された言葉ではない。義人ヨブはどんな受難にも耐えながら神を裏切らなかった。そしてそれでも彼は現世では報われることが無かった。まことに厳しい物語である。一見因果応報の不成立のように見えるが、そう解釈してはいけないのだと思う。毎日の現実の暮らしの中で、些細なことですぐに怒りに走ろうとする自分は立ち止まって考えなければならない。どんな状況に置かれようと、自分には怒ることが許されていない、ただ悲しむことだけが許されている、と自分に言い聞かせてみる。だが怒りの現場でそれを思うのは本当に難しい。