何だか分からない

木 旧暦8月11日 赤口 丙寅 一白水星 白露 Alma Hulda V36 22856日目

例えば親鸞南無阿弥陀仏と唱えるだけで誰もが救われると説いた。そんなにリキんで苦行をしなくても良いと説いた。それはそれで教えとしては分かるような気がするが、仏教の基本からは随分離れている気もする。宗教の勉強をしたことが無いので分からないが、古来の日本には仏教とは学問であり、学問とは仏教であった時代もあったはずである。仏教の教理のひとつの特徴に因果応報ということがある。南無阿弥陀仏と唱えても因果応報の理は僕には分からない。善と悪の区別も分からない。善であることに気付かずに何かをして、結果的にそれが善であった場合は良いが、それと気づかずに何かをして、それが実は悪であった場合は恐ろしい。自信を持って生きることは大事だが、これで本当に俺は間違っていないだろうかと振り返ってみる一面も持ち合わせなければならない。南無阿弥陀仏と唱えてさえいれば、それと気づかずに何かをしても、それが悪に堕ちることはないということだろうか。いやいや、善人なおもて往生をとぐ、という言葉があるように、やはり悪には堕ちるのである。今の世の中に僕が直面する困難は、結局は悪と知らずに悪をしていることの報いではないかとも思われる。気づきながら速度違反をしている時はまだ安心であるが、気づかずに速度違反をしている時は危ない。違反さえしなければ安心というわけでもない。安心ばかり求めてリスクをとらないことも悪かもしれない。