自分の居場所

日 旧暦 10月2日 大安 辛酉 九紫火星 立冬 Ingegerd, Ingela Sönd.e.alla helgons dag V44 22551日目

知人の中には、この地上で一度足を運んだところは決して忘れない、という人が居る。えらいと思う。どうしたらそんな風になれるかと思う。僕などは毎日通っている道でさえ、夜になって暗く寂しかったりすると、木の枝の空に伸びる様子などがいつもと違うような気がして、果たしてこの道はいつもの道であろうかと、不安にかられることがある。日本に居た時、まだ同居人と暮らし始める前の話であるが、ある町で、よく分かっている町であるからと安心してたかをくくって歩き始めたのであるが、どんどん見覚えの無い風景が広がって来て、こんなはずは無い、何かにつかれたのではないだろうかという類の嫌悪感を感じて、それでもともかく自分の思う方へどんどん歩き回って、とうとう知っている場所に出た時にようやくホッとした思い出がある。後で地図を開いてみてさまよったあたりを研究する気もおきなかったが、ともかくも不思議な体験であったので今も忘れない。自分は今どこにいるのか、そしてどこへ向かっているのか。非常に重要なことであるが、それは自分の理性が思っているほど自明のものではないと思う。老人性ボケの特徴のひとつに、自分の居場所が分からなくなる、ということがある。人とともに歩む時も、たえず自分の居場所を明快に意識に上らせる努力をしたいと思う。