闇の中の安息

土 旧暦 10月1日 仏滅 庚申 一白水星 新月 Gustav Adolf Alla helgons dag V44 22550日目

今年は Gustav Adolfsdagen と Alla helgons dag とが同じ日になった。こうなるケースは珍しいと思う。日本の旧暦では今日から10月1日。月無き夜となる。同居人は毎晩僕の為に翌日の昼食のサンドイッチを作っておいてくれる。週末には決まって、明日はお弁当が必要かしら、と聞く。僕は起きてから元気さえあれば会社に出たいものだから、あまり迷わずに作ってくださいと頼む。けれども、翌日が来て、結局はそれを家で食べる羽目になることが多い。今日もそうであった。そうなっても、同居人は弁当は要らなかったのねと言って抗議して来ることが無い。この余計な一言が無いために二人の間には平和が続いている。朝になって、既に明るくなった外の秋の色を眺めながら、今日は家に居ることにしたいと言うと、むしろ喜ぶ風があった。そうして、日頃から気になっていたらしい、僕の足の手入れをしてくれた。それから午後になって秋の日が西に傾いた頃に仕事に出かけて行った。僕はひねもすパジャマを着たままで、起きたり、横になったりを繰り返した。昨夜日本から帰って来た先生とも電話で話すことができた。何とも贅沢な休日となった。日本に居た時に買ったけれどもまだ読んでない本があるので、それを出して読む。「ちくま文学の森」という文庫本シリーズの中に「心洗われる話」の巻があって、僕はこの本をすごく気に入っている。梶井基次郎の「闇の絵巻」という短編も今日読んだ。深い闇の不気味さとその中に潜む意外なほどの安息について書かれている。昭和5年の作品であるが、もう現代の僕達には日常生活の中に漆黒の闇を経験できる場所は無い。今宵は月無き夜である。昨夜の墓地の散策でさえが、闇とはいえ、ところどころに街灯もあり、遠くの国道に車の光の行き来するのが分かった。本当の闇を知ることも意識することもなくなった僕たちは、それだけ、昔の人よりも感じる心が薄っぺらになって来ているのかもしれない。