家門の存続

月 旧暦 6月29日 仏滅 辛卯 九紫火星 Roland V32 22462日目

僕の家に伝わる過去帳の、一番古い仏は命日が延宝8年11月11日となっている。西暦1680年である。町の菩提寺に眠る墓石には正面と左右の3面にわたって、いくつもの仏達の戒名が細かい文字で刻まれている。江戸時代にはるばると九州からこの墓石が運ばれて来たという話を聞いたことがある。引越しをするのにお墓まで一緒に引越すと言うのはどうだろうか。交通の不便な昔にあってはそうしなければお墓を守ることができなかったのかもしれない。家門の存続は何より大事なことと昔は考えられていた。それは家風と文化の伝承でもあった。結婚は家同士の結びつきであって、個人の結びつきではなかった。けれども時代は変った。現代のように変化の激しい時代には、よほどの名家ならいざ知らず、我々一般庶民にとっては、家系が途絶えることもやむを得ないのではないかと僕は考えている。そもそも僕の尊敬する人物は不思議と生涯を独身で通した人たちばかりである。彼らが今わの際に己が家系の存続についてはたして悩んだであろうか。そんなことはなかっただろうと思う。志は別のところにあったはずである。今という時代を生き、時代の変化を柔軟に受け止め、与えられた生命を大切に生きる、僕たちはそれで良いのではないかと思う。こういう平和主義でいることは、やはり祖霊に対して申し訳ないことになるのだろうか。お墓は何も答えてくれないから、自分で考えるしかない。