民主主義

水 旧暦 5月5日 先負 丁酉 一白水星 Axel Axelina V24 22408日目

どこの国でも戦いに勝ち残ったものが自分たちの正当性を主張する形で歴史を書く。だから歴史上のひとつの事件が、見方を変えれば別の意味を持つこともありうる。例えば、アメリカによる日本への原爆投下は戦争を短期終結させる手段としてアメリカでは正当性を主張しようとするだろうが、そういう視点だけでは歴史は記述できない。インターネットが普及した後の、つまりこれからの歴史はどうなるだろう。権力による書き換えができないか、難しくなるだろうと思う。焚書坑儒による言論統制が出来なくなるのではないかと思う。そういう点でインターネットは民主主義の道具だと思うが、逆に電子メールの検閲などが容易になされてしまうという面もあわせ持つから、本当に民主主義の道具になりえるかどうかよく分からない。あまりにも膨大な情報の中で、何が意味ある情報であるかが僕らには見つけにくい。もしくは、情報の持つ意味に感動する心が薄らぐような気もする。こういう時代には、情報の洪水の中に、僕はこう思うとまず発信してみることも大事ではないかと思う。きっと誰も見向きもしないだろうが、それでも発信してみることで自分自身を振り返ることができる。そしてそのような発信の、多くの人たちによる積み重なりが民主主義を構成していくのではないかと思う。