『大佛次郎の「大東亜戦争」』を読んで

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大佛次郎の「大東亜戦争」』という本(小川和也著、講談社現代新書)を読んだ。人間はある人の言動の傾向を見て、あの人の考えは資本主義であるとか、共産主義であるとか、軍国主義であるとか、色々に分類したがるものである。そうしてともかくも自分の知っている既成の思想体系の枠の中にその人を分類できると妙に落ち着いたりする。けれども、その人が結果としてどういう傾向の思想を示すかということよりも、いかなる動機といかなる情熱のもとにその人はその思想に辿り着いたかということの方が重要な場合もある。非常に似通った動機に突き動かされて辿り着いた行動原理が全く別な方向を示すこともあるからである。「パリ燃ゆ」などの代表作で知られる大佛次郎や、あの時代の知識人たちは、先の戦争に対して終始一貫して批判的であったのではないかと先入観念で思っていたのであるが、この本を読んで、僕の先入観念は全く間違っていたことを知った。非常に大きな衝撃を受けた。1930年代以降の昭和というものがどんな時代であったのか、学校で習うのとはひと味もふた味も違う、ナマの昭和史を垣間見たような気がした。そういう意味では良い本であると思うが、ただ、心配が無いわけでもない。なぜ今、「大東亜戦争」なのかという心配である。大佛次郎は日本の勝利を願いながら、激しい怒りと葛藤とに傷ついた。日本の伝統と文化を守りたいという強い思い。日本をだらしないものにしてしまった手合いへの激しい怒り。戦場に散って行った多くの人たちへの鎮魂。これらはこの本の最も重要なメッセージであると思うが、読者の中には肝心な部分を軽く読み流して、好戦的に聞こえるような部分だけを切り貼りして使ってしまわないかという心配である。この頃の風潮から、日本はこれから再び危ない時代を迎えるのではないかと案じられるのである。