「思い出のメロディ」を見て

日 旧暦 7月4日 仏滅 庚子 九紫火星 処暑 Signe Signhild 11e.tref. Rötmånaden slutar V34 22111日目

第41回思い出のメロディを見た。一歌謡曲ファンとしては、歳末に紅白歌合戦を見ずにお正月を迎えることはできても、夏の終わりに思い出のメロディを見ないで秋を迎えることはできない。今や「思い出のメロディ」は多くの人たちにとって秋の季語になっているのであるが、ちょっと長くて字余りになるのが苦しい。今年もこの番組を見て元気をもらった。一番古い曲は「港が見える丘」(昭和22年)、一番新しい曲は「川の流れのように」(平成元年)。平成になってもう21年にもなるのに、平成のうたはかろうじて元年に歌われた1曲しか入っていなかった。今の若い人たちは音楽をどう思っているか分からないが、もともと音楽は、特に日本の歌謡曲の場合は、メロディの力と歌詞の力とがあいまって、人に元気を与えるのである。それは、「力をもいれずしてあめつちを動かし」という精神にも通じるものがあって、詩の力があずかって大きい働きを示している。歌は世につれ、世は歌につれ、という言葉もその辺の事情を言っているのである。が、果たして平成という時代に、世につれるほどの名曲が生まれているのだろうか。僕は最近の日本の世相というものがどうにもなじめないのであるが、そのことと名曲が生まれていないこととの間に相関関係があるのではないだろうかとおそれる。「うたが生まれないと世の中が悪くなる」という仮説を提唱してみたい。僕は昭和の終わりに日本を離れて十年以上の空白期間があり、当時は通信技術も発達していなかったものだから、この間日本でどんな歌が流行ったかよく知らない。しかし、あまり名曲に会わなかったような気がする。ある意味で今は「詩人の不在」の時代ということはないかと気にかかる。例えばペギー葉山が歌う「学生時代」などは、世代を超えて、永遠の青春の歌であると、昔の僕は信じていた。が、今や「重い鞄を抱えて」通う学生なんているのだろうか。あれはやはり過去の幻想であるのだろうか。歌詞の内容の時代的変化も気にかかる。例えば、昭和の歌は、「誰のせいでもありゃしない、みんなおいらが悪いのさ」(悲しき願い)とか、「悪いのは僕の方さ、君じゃない」(さらば恋人)とか、「遅くなってごめんね」(花は遅かった)とか、自分を責める歌が多かったのであるが、平成になると、「わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」(ギザギザハートの子守唄)となんだか開き直ったような傾向を見せるのである。人間の欲望の追求の果てに、もしもうたが消えるのであれば悲しい。