今日から冬時間

日 旧暦9月28日 赤口 己亥 七赤金星 Amanda Rasmus 23 e. tref. Sommartid slutar V43 21810日目 7.9℃

夜中の2時を2回打つ日。ヨーロッパでは冬時間へ移行した。年に二度も時計を直すのは煩わしい。はじめの頃は時計を直すのではなく、営業時間を夏は1時間早めるようにしたら良いものを、と思ったものであるが、それは現場を知らないものの発想で、長く住んでいると、やはり時計が変わってくれないと困ることを実感する。もし、2時と3時の間にお金を下ろせば、3時になった時に新しい2時になって、するとその1時間分は上書きされてお金を下ろさなかった扱いにならないかなとあほなことを考えたこともあった。今日は家にあるいくつかの時計を直した。電波時計など自分で修正してくれるはずであるが、僕の住むところはフランクフルトから遠いせいか、電波の受信状況が悪いらしく、何度強制受信を試みても一向に変わってくれない。午後になっても変わらないので、やむなく手動で時刻合わせをした。

あとは何もする気が無くて、ごろりと横になり、永井荷風の「西遊日誌抄」を読んだ。アメリカ時代、及びそこから銀行員としてフランスに渡った時代の荷風の苦悩が身近に感じられた。文学者の生き方には非日常的なものがあり、しかしそれを非日常的なことととして一蹴してしまうわけにもいかない課題を抱えているので悩みになるのである。一番堪えた一文を引用する。「余は遠く故国の伝説道徳習慣あらゆるものより隔離して天涯千里の異域に放浪孤独の悲愁を愛する身なり」これこそ、僕がスウェーデンに移り住んだ時の決心でなかったかという心持がして、それなのに今は、のうのうと年に何度も日本とスウェーデンを行き来して、状況は当初の志とは全く異なった方向に導かれている。ある意味で幸せであるし、有難いことと感謝しているが、それを幸せと感じて甘んじていては、荷風の苦悩は遠い他人のものとなってしまう。実社会でうまく折り合いをつけながら文学を志すということは、本来両立すべからざることかもしれない。