ブログの一年

土 旧暦6月10日 先負 癸丑 五黄土星 Herman Hermine V28 21704日目

森進一が歌う「襟裳岬」の歌詞に僕は共感する。「黙りとおした歳月(としつき)を拾い集めて」というところに共感するのである。しかしその一方で、そんな生き方ではたして良いのか、とも思う。「もの言へば唇寒し」とか「キジも鳴かずば撃たれまい」とか、「口あけてはらわた見せるざくろかな」とか、とかく日本には、何事も黙っていた方が無難である、という風潮が昔からある。傷つかずにこの世の中を生きていこうと思ったら黙りとおすことが一番かもしれない。けれどもそのような生き方の上に与えられる安堵は己ひとりの救いであって、大乗的な救いにはつながらない。人間は本来もっと社会的な生き物のはずである。「秘すれば花」というが、本当の「秘」に徹しきって、そこに隠すべき何かがあるらしいことさえ誰にも分からなかったら、それは果たして存在していると言えるのか、という逆説もある。野に咲く花が誰に見られなくともひっそりと咲くように、自分もまた、今、生きてここにあるという喜びを何かの形に表現してみたい。それがブログの心である。ネットの向こう側にそれを置くことで、わが後の世も、一種のタイムカプセルにもなりうるのである。ちょうど一年前の今日、僕は本当に軽い遊び心でブログを始めてみた。最初は何を書いてよいのかもわからなかったのであるが、続けるうちに、それはかなり自分を確認する重要な手段になりつつあることに気づいた。何日か休みはしたものの、1年も続いたことに驚きを禁じえない。仕事が忙しくなればきっと続けられないと思うが、これからもできるだけ続けたい。奇特にも今でも何人か読んでくださる方があって、それはやはりうれしいことではあるが、そのことをあまり意識してはいけないと思っている。