イエス・キリストの系図

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新約聖書はマタイ傳福音書で始まっている。その第1章にはアブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図が書かれている。歴代の人々の名前が延々と続く。第1章をきちんと読みきるのはなかなか苦痛である。一体、印刷術も無かった昔の人たちはこういう名前の配列を順番を間違えずにそらで言えたのであろうから、敬服してしまう。そうして辿り着く文章が、「ヤコブ、マリヤの夫、ヨセフを生めり。此のマリヤよりキリストと称ふるイエス生れ給へり。されば総て世をふる事、アブラハムよりダビデまで十四代ダビデよりバビロンに移さるるまで十四代、バビロンに移されてよりキリストまで十四代なり。」と書かれている。僕がここで疑問に感じることは、この系図は父方の系図であって、母方の系図では無いということである。「その母マリヤ、ヨセフと許婚したるのみにて。未だ供にならざりしに、聖霊によりて孕り、」ということであれば、むしろ母方の系図の方が大切ではないかと思われるのであるが、それについては何も書かれていない。考えられることはユダヤ社会が男中心の社会であったのであろうということである。ヨセフの偉いところは、夢に現れた主の使いの言葉を信じたことである。苦労の多い人生であったのであろう。ヨセフは世の夫の苦労を一身に引き受けているのではないかとも思う。それなのに後世の画家達は聖母マリヤをたくさん描いたが、ヨセフをあまり描かなかった。寅さんよりさかのぼることはるか二千年、「男はつらいよ」は聖書にも垣間見ることの出来る普遍的な事実であるかもしれない。