2022年2月24日に始まったウクライナの状況はその後どうなったのか、2023年10月7日に始まったパレスチナの状況はその後どうなったのか、あまりよくわからないうちに、アメリカとイスラエルがイランを攻撃して(2026年2月28日)、この地上での戦争がますます拡…
日記としては記述の順序が前後するのだが、日本を離れる前の数日は東京で過ごした。その間に多磨霊園へ行った。同居人の実家のお墓がそこにあるのである。僕は墓地を散歩するのが割と好きで、本当は雑司ヶ谷霊園なども行きたいのだが、色々と事情もあって多…
スウェーデンに戻って数日が過ぎた。5月は日本でもスウェーデンでもベストシーズンだと思ふが、特にスウェーデンの5月は素晴らしい。新鮮な空気と若葉と凌ぎやすい気温の良い季節に帰ってくることができた。日本では今年も、これから次第に暑い毎日になるの…
今回の滞在では、友達や先生などなくなった人が多い。それでなるべく静かな生活を心がけてゐる。人にもあまり逢はないやうにしてゐる。ではあるのだが、家にゐるだけの暮らしでもそれなりに忙しいものだ。前に屋根に上ったことを書いたが、あれは1階の屋根の…
今回の滞在ではもうひとり大事な友人を亡くしてゐる。そのことをいつ書かうかと迷ひながら日が過ぎた。小学校時代の同級生の田口幸生さんが亡くなったのは4月7日であった。家が近所であるので、8日の日に病院から自宅に戻った田口さんに会ひに行った。安らか…
昨日、一昨日はあまり良い天気ではなかったが、今日のこどもの日はとても良い日になった。こんなに良い日は年に何日もあるまいと思ふほどであった。2階の壁面に錆びたような色が見えてゐたのでペンキを塗ってみた。ペンキと刷毛は数日前にホームセンターで…
1987年に家族でスウェーデンに渡ってから、桃子さんには色々とお世話になった。桃子さんはストックホルムにお住まひで、そんなに頻繁にお会ひすることはなかったものの、たまにストックホルムまで出かけた時にお会ひしたり、お家に呼んでいただいたりしたも…
今日はもう5月だといふのに、今でも僕は朝晩に台所で石油ストーブをつける。寒がりやといふこともあるが、石油ストーブをつければその上にヤカンをおくだけでふんだんにお湯が沸くし、パンを温めたり、目玉焼きを作るときも石油ストーブを利用する。つまり寒…
森茂先生が亡くなられた。いつかこの日が来るのではないかと密かに恐れてゐたのだが、ついに来てしまった。森先生は僕にとってふるさとそのものである。森先生は僕の高校2年、3年時の受持ちの先生であった。修学旅行では九州へ行った。その頃にはもちろんお…
屋根にあがって松の枯葉のかたまりを取り除いてから今日までに雨の日が何日かあったが、これまでのところ雨漏りはしなくなったようだ。うれしい。だけどさうなると気になるのはふすまの汚れだ。専門の人に頼めば綺麗に張り替へてくれるに違ひないが、そこま…
ススキは秋の七草のひとつである。なんとなく風雅な感じがしないでもないが、雑草である。それも大変な繁殖力を持ってゐる。以前我が家の庭でもこれを見かけた。招かれざる雑草であり、今回の滞在中に少しでも退治しようと庭に出た。ススキの葉のかたまって…
家の近所に國神神社(くにがみじんじゃ)がある。式内社で、ご祭神は椀子皇子(まるこのおうじ)とされてゐる。椀子皇子は継体天皇の皇子である。といふことは欽明天皇ともご兄弟といふことかなと思ふ。古事記に出てくる伝説的な古い神様ではなくて比較的新…
我が家の屋根のうへに上がってみた。2階のベランダの手すりを乗り越えれば平屋部分の屋根に出ることができる。屋根の北側の半分はこちらから見えないのだが、そこまで近づいてみると、古い松の枯葉が広い範囲にわたってうず高く溜まってゐて、その上に草ま…
今回の日本滞在の大きな目標のひとつは我が家の菩提寺にあるお墓を新しくすることであった。昨年秋に来た時に石材店を訪ね、大体の計画について話し合った。冬の間にその計画通りに施工を進めてもらって、新しい墓石が完成し、この春無事にその開眼供養を営…
3月下旬からまた日本に来た。高齢者になってからまで遠くにある二つの国を行き来するのはしんどいし、もうやめようと思ふのだが、エイヤッと頑張ってやってみれば、やってみなければわからないたくさんの気づきがあるものだ。ありがたい。それはともかくとし…
とても久しぶりでストックホルムへ行った。といふのもちょっとした用事で日本大使館領事部に用事があったからだ。この頃は大使館での用事もデジタル化が進んでゐる。自宅からオンラインで手続きを済ませておいて、用意していただいた書類の受け取りにだけ、…
はたから見ると幸せな人生を送ってゐるようにしか見えない人であっても、ご本人の内面には深い苦悩を抱へてゐる場合って結構あるのかもしれない。「躁」の状態と「鬱」の状態は誰にも交互に訪れるのかもしれないが、その揺れの振幅がなるべく小さくて済むよ…
日本経済新聞の電子版には「私の履歴書 復刻版」といふのがあって、3月は平塚らいてうと出光佐三の分が載ってゐる。平塚らいてうの履歴書を最初の方だけ少し読んでみた。人間としてずいぶん偉い人だなと改めて思った。ところで平塚らいてうといへば「元始、…
勝って良かった戦争なんてあるのだらうか。戦勝国は勝って良かったと思ふかもしれないが、人間である限り暴力を行使してしまったことへの後悔はずっと残るはずだ。個人的なケンカでも、やったあとはきちんと仲直りをしないと気分が悪いのではないかな。世の…
冷凍庫からピーピーといふ音がし始めたのは2月18日であった。ドアを開けたままにしておくとなり始めるあの警報音である。ドアがきちんと閉まってゐるのにこの音が鳴り続けた。僕の耳はこの高さの音を聞き取らないからどうといふこともないのだが、耳の良い同…
日本経済新聞の今月の私の履歴書は写真家の大石芳野氏である。知らなかったことや忘れてゐたこと、考へさせられることがたくさん書いてあった。今日の記事では隠岐での撮影体験の話とか鶴岡の黒川能の話などが載ってゐた。そしてその能や舞を見つめるうちに…
四日間ほど寝込んでしまった。寝てゐて少しつらいなと感じたのは一日だけであった。息継ぎの瞬間とかふとした拍子に、まだどこかをかしい様な病後の感じがふと残ったので、その後も寝たままの生活を続けたらたちまち四日が過ぎた。誰でもさうなのかもしれな…
自動車の調子が悪いので久しぶりにバスに乗ってみた。最近のバスは皆電気で走るようである。昔使ってゐたバスのカードをポシェットから取り出して、今も使へるかなと思って読み取り機にかざしてみると読み取ってくれた。カードの残高が一瞬表示されるはずな…
年老いたせいかあまり外出しない。週に2度ばかり自動車でプールには行くけれども、その行き帰りにあまり町に寄ることもないので、最近の町の様子をあまり知らない。同居人は毎日のように家の周りだけを散歩するのだが、町へ出ることはほとんどない。僕が連れ…
西郷隆盛が亡くなったのは1877年9月24日である。1868年に始まった維新革命はその西郷の死をもって完了したような感じがある。日本といふ新しい国家の建設に西郷がどれだけ貢献したかについての評価は、今なお大きく割れるのかもしれないが、僕は内村鑑三の「…
先日の衆議院選挙では自民党が圧勝した。何のための選挙であったのかといへば、高市さんが首相として相応しいのかどうかを国民の皆様に判断していただきたいのだとご本人がそのように言はれた。それで、投票した人の多くは、自民党に入れるといふよりも高市…
2月8日(日曜日)は、日本では衆議院選挙の投票日だ。雪で悪天候の地方もあるらしい。こんなにも大急ぎの選挙を実施して良いものかと思ふ。例へは悪いが、まるで詐欺師が老人を追ひ立てて実行を急ぐときの心理を思ひ起こさせるほどの、そんな急ぎ方はどこか…
講談社文芸文庫「阿Q正伝・藤野先生」(電子版)を読む。魯迅の作品を僕は読んだことがなかった。「藤野先生」といふ作品は魯迅が仙台の医学専門学校で学んだ頃の話である。時代は日露戦争勃発の年か。彼は藤野厳九郎といふ先生から解剖学を学んだ。藤野先生…
スペースシャトル・チャレンジャーが発射直後に事故を起こしたのは1986年1月28日であった。父が亡くなって、その夜伽のためにお寺で過ごした夜にそのニュースを聞いたので、覚えてゐる。この宇宙開発の事故と父の死とがほぼ同時であったことの偶然の背後に何…
1月25日は中野重治のお誕生日であった。郷土出身の大先輩のひとりである。今年は生誕124年である。その実家は歩いていけるほどの近い距離ではあったが、調べると中野重治が卒業した小学校と僕の出た小学校とは別である。でも僕が中学校に進学する年に、いく…