平家物語「西光被斬3」

2020-11-11 (水)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 26 日> (仏滅 戊午 三碧木星) Mårten   第 46 週 第 26206 日

 

5月29日の夜も更けてから、多田蔵人行綱は入道相国平清盛の西八條のお屋敷に行った。「行綱が参りました。申し上げたきことがあります」と言ったのだが、入道は「普段来たこともないものが何の用だ。お前があの男の言ふことを聞いて参れ」と言って主馬判官盛国に応対させた。「人づてに申し上げることではありません」と言ふので、それでは、と言って入道みづから中門の廊に出た。「こんなに遅い時間になって言ってくるとは一体どんな用だ」と聞けば、「昼は人目も多うございますから、夜に紛れて参ったのでございます。この頃、院中の人々が兵具をととのへ、軍兵の用意をしてをりますのを、どの様にご覧になってますか」「それは法皇が叡山をお攻めになるためだと聞いてをるぞ」と、入道はさも何でもない様に返事をした。行綱は近う寄って囁くように言った。「それがさうではないのですよ。これはまったく平家御一門にかかはることであるとおぼしめせ」「なんと、それを法皇もご存知であるのか」「もちろんです。詳細を申すまでもありません。成親卿が軍兵の用意をしてをりますのも法皇のご命令であると言って召してゐるのです」やれ俊寛はこの様に振舞ったとか、康頼はこんな風に言ったとか、西光はまたこんな風なことを言ったとか、初めからあったことを実際以上に尾びれをつけて言ひちらした挙句に「これでおいとま申します」と言って退出した。入道は大いに驚いて大声を出して侍どもを呼んだ。聞くのも大変な有り様である。行綱は、なまじひなことを言ひ出して、証人として引っ立てられるかもしれないと恐ろしくなり、大野に火を放った心地がした。誰も追って来る人などゐないのに、袴のもも立ちをつまんで、急いで門外へ逃げる有り様であった。入道はまづ貞能をよんで、「当家を傾けようとする謀反の輩が京中に広がってをるぞ。一門の人々にもふれ申せ。侍どもを呼び集めよ」と言った。すると続々と侍たちが集まった。右大将宗盛卿、三位中将知盛、頭中将重衡、左馬頭行盛をはじめとして、それ以下の人々は甲冑をよろひ、弓箭を帯してはせ集まった。その他にも軍兵は雲霞の如くに集まり来た。その夜のうちに西八條には、六七千騎にもなるかとみえるほどに兵どもが集まった。

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自転車で町へ行ってみた。コロナでわが町の図書館は閉館、飲食店も午後10時以降のサービスが禁じられた。

 

Elon Musk が近くの空港に現れたといふ記事

2020-11-10 (火)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 25 日> (先負 丁巳 四緑木星) Martin Martina Mårtensafton   第 46 週 第 26205 日

 

Tesla と Space X の創業者であるかの有名な Elon Musk が土曜日の夜に Skavsta 空港に降り立ったと地方紙 Södermanlands Nyheter で見た。この空港は小さいながらわが町の経済にも寄与してゐる大事な空港なのであるが、コロナ騒ぎで打撃を受けた。主に LCC 専用の空港であるが、ターミナルから旅客機までを結ぶボーディングブリッジもない。けれども、プライベートジェットで乗りつける分にはその様な設備は不要なのである。飛行機から降り立つとすぐそこに Tesla の高級車が滑り込んで、 Elon Musk はそれに乗って去ったといふ。そんな時、入国手続きはどの様になされるのか、よく分からない。その訪問の目的もよく分からないが、新聞記事によると、アメリカの駐スウェーデン大使の Ken Howery がお友達で、先週45歳になったのでそのお祝ひに来たのではないかと書かれてあった。御一行さまは空港から Stora Sundby といふスウェーデンのお城に直行したといふことである、そのお城は Eskilstuna と Katrineholm の間にある。大富豪はコロナの渦中にあっても、プライベートジェットで世界を移動するのだなと思ったことであった。

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今日もどんよりとした日であった

 

平家物語「西光被斬2」

2020-11-09 (月)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 24 日> (友引 丙辰 五黄土星) Teodor Teodora   第 46 週 第 26204 日

 

新大納言成親卿は、平家を滅ぼしたいと思って内密に計画を進めて来たが、山門の騒動があったものだから、その計画は中断された形になってゐた。いや、その間にも内相談や準備はさまざまに行はれてゐたのだが、みせかけだけの勢ひではこの謀反はうまくいかないのではないかと思はれた。それで、武門として一番頼りにされてゐたはずの多田蔵人行綱は、こんなことはしない方が良かったのにと思ふようになった。手付金として、弓を包む袋にしたらよかろうと言はれて受け取ってあった布を、直垂、帷子などのスーツにしてしまって、家子郎等どもに着せながら、目をパチパチさせてどうしたものやらと考へ込んだ。よくよく平家の繁昌する有様を見れば、当節簡単には滅ぼすことなどできないぞ、不都合なことに手を貸したものだな、もしこのことが漏れてでもみろ、真っ先に殺されるのは自分だぞ、他人の口よりもれぬ先に自首すれば命は助かるだろうといふ気持ちになったのである。

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晩秋の散歩道は曇りがちで寒い

 

梅干しの味

2020-11-08 (日)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 23 日> (先勝 乙卯 六白金星)下弦 Vendela Fars Dag   第 45 週 第 26203 日

 

「おふくろの味」といふ言葉もあるが、子供の味覚は何歳で決まるのだろう。我が家の孫は半分日本人の血を引く。である以上は「梅干し」の味には親しんでほしい。さう思って、僕は家でおにぎりを作る時に、ほんのわづかばかりの梅干しのペーストを中に入れて握って持って行くことがあった。僕は孫が食べるところを注意して見てなかったのだが、どうも海苔を剥がし、梅干しを避けて食べてゐるらしいのだ。一番大切な部分を剥がしてしまふのである。由々しきことである。しかし、ここで怒ってはいけないと思ひ、じっと耐へた。こないだ、そんな話を聞いたものだから、なんだかバカバカしくなって、今日はファンオニを作って持って行った。感じの鋭い方には分かっていただけたと思ふが、ファンオニとはファンダメンタルおにぎりの略で、白いご飯に塩をふり、中に何も入れず、握っただけのものをいふ。もちろん、外側をノリで包むこともしない。圧倒的短時間でファンオニができた。で、それを持って行ったら、大いに美味しいと言ってくれて、海苔や梅干しを外す手間が省けて良くなった様な雰囲気なのだ。ここでバカバカしさは極大に達した。子供の味覚は4歳では出来上がってしまってゐることを知った。今から梅干しの taste を acquire してもらふのは難しいだろうか。

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今日も Stockholm へ行った

 

米大統領の選挙結果

2020-11-07 (土)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 22 日> (赤口 甲寅 七赤金星)立冬 Ingegerd Ingela   第 45 週 第 26202 日

 

大接戦が続いた米大統領の選挙であるが、今日 Joe Biden が勝利したと速報が入った。よかったと思ふ一方で、何か冷めた思ひもする。人はみな、リーダーが代はれば良い時代が来ると思ひがちだが、リーダーの交代によって変はることのできる範囲は小さいものだ。変はらなければいけないのは投票するひとりひとりの心の持ちようであると思ふ。これは何もアメリカに限った話ではないのだが、僕らはあまりにも人間としてあるべき生き方から遠いところに来てしまった感じがある。人は誰も、今より少しでも良い生活がしたいと思ふものだ。そのために頑張ることは悪いことではないのだが、心のうちに慎みを持って、欲望と抑制のバランスするところを探さなければいけないのではないかと思ふ。そんなことをすれば競争社会から脱落すると心配する人もあるかしれないが、そんな心配はないと僕は信じる。それはその人の持つ信仰の問題かもしれないけれども。例へば、二酸化炭素を排出させない政策を推し進めることは大事だが、政策任せにして、それさへやれば環境問題が解決するといふ訳でもあるまい。人任せではなく、この星に住む人々が、自分のできることを身近なところで実践していくことが大事と思ふ。さうでなければ、良い社会はやってこないのではないかと、僕はやや悲観的に思ってしまふ。

 

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近くの教会の駐車場には車のかげもなかった



Gustav Adolf の日

2020-11-06 (金)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 21 日> (大安 癸丑 八白土星) Gustav Adolf Gustav Adolfsdagen   第 45 週 第 26201 日

 

11月6日はスウェーデンでは「Gustav Adolf の日」である。旗日となってゐる。ヨーロッパでは昔、30年戦争があった。カトリックプロテスタントの宗教上の戦ひであった。21歳の若い国王 Gustav II Adolf はカトリック勢力の北上を阻止する為、自ら指揮をとって戦地に赴き、ドイツの Lützen で戦死した。それが 1632年11月6日であった。遺体は船でスウェーデンに戻された。船は Nyköping 港に着いて Nyköpingshus(ニショッピン城)に安置され、約1年以上、埋葬されずに保管され、その間に全国からたくさんの弔問客が訪れたと聞いた。 Nyköpingshusの写真は僕のブログにものせることがある。ちなみに、まるで男の様であった Christina 女王はこの王様の娘で、その少女時代を Nyköpingshusで過ごしたとも聞いた。当代随一の学者であったデカルトは招かれてスウェーデンに来て、知識欲旺盛な Christina 女王に進講したのだが、忙しい女王のスケジュール調整が難しく、朝5時から講義をする羽目になり、それが原因かどうか分からないが、体をこじらして寒いスウェーデンで客死した。

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今年の冬は厳しくなるだろうか

 

いつもと違った散歩

2020-11-05 (木)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 20 日> (仏滅 壬子 九紫火星) Eugen Eugenia   第 45 週 第 26200 日

 

自動車のサービスを受けるためにディーラーの工場へ行った。ついでに冬タイヤへの交換もしてもらった。いつもはサービスを受ける間はレセプションのロビーで待つのだが、コロナに感染しない様に用心して、外へ出てその工場の近くを散歩することにした。スウェーデンでは先週あたりからものすごい勢ひで感染が広がってゐて、僕の住む Södermanland も今日、感染者急増の危険区域に指定された。工場の近くは閑静な住宅地になってゐた。いつもはその脇を自動車で通過するだけであるのだが、歩いてみるととても良い感じがした。見かけない男がブラついてゐるのを不審に思はれたか、通りがかりの自動車が近づいて止まった。「どこかの家を探してるのかい」と聞いてくれた。その聞き方には怪しいものを問ひただす様な雰囲気は微塵もなかったので安心した。「少し時間があって散歩してるんです」と答へた。すると「さうかい」と言って自動車は去った。それからはずれの教会の方へ歩いてみた。小高い丘になってゐて、そこを登ると広々とひらけた景色になった。その秋の風景は眺めて飽きないものであった。何もしないで佇み、ただ風景を見ることの楽しさを味はった。

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草を食む馬も見た