歴代の首相で尊敬する人は?

2025-07-25 (金)(令和7年乙巳)<旧暦 閏6 月 1 日>(赤口 乙未 五黄土星)新月🌑 Jakob 第 30 週 第 27927 日

 

歴代の首相のうちで僕の尊敬する人は誰かを書いてみる。第一に挙げたいのは鈴木貫太郎首相だ。昭和20年4月7日、といへば沖縄特攻を目指した戦艦大和が徳之島の北西洋上に轟沈した日であるが、まさにその日に小磯國昭内閣は総辞職した。ルソン島・硫黄島・沖縄への米軍の上陸による戦局の悪化、本土空襲に対してあまりに無力であることに責任をとっての総辞職であった。次の首相が当時78歳の鈴木首相であった。この人は昭和11年の2・26事件で銃弾を4発撃たれて倒れた。夫人のたかさんがその体を庇って、「武士の情けです。とどめだけは私に任せてください」と制して一命を取り留めた。その重傷を負ったご老体が、9年後に首相になったのである。鈴木さんは「とても私には」と辞退したけれども、昭和天皇から「もうお前しかゐない」と頼み込まれて首相を引き受けることになった。この頃、日本にはなおも戦争を完遂すべしといふ大方針があった。これに対して天皇は建前上ノーと言へないけれどもそのご本心は和平を探りたいとお考へであった。そんな時、天皇のお気持ちに呼応するように鈴木首相は「ソ連に仲介してもらって戦争を終結させよう」といふ方向を裏で進めるのである。しかし、ソ連は仲介してもらへるような国では全くなくて、表向きは日本からの依頼を適当にあしらひながら腹の中では日本を攻撃するきっかけをつかまうとしてゐた。アメリカはドイツ降伏後のヨーロッパの処理をめぐってソ連のやり方のえげつなさに辟易したので、ソ連が参戦してくる前に日本を降伏させたいと考へた。8月6日に広島に原爆が落ちると、ソ連は大慌てで日本への参戦を急ぎ、8月9日に満州の国境を突破して日本への攻撃を始めた。仲介をお願ひしてゐる国からの、まさかと思ふような攻撃であった。鈴木首相のソ連に仲介を頼むといふ政策は全く間違ってゐたことが明らかになったので、内閣は総辞職すべきであると主張する閣僚もあった。しかし鈴木首相は辞職せず、ともかくも戦争を終結させるといふことに全身全霊を注いだ。この、辞職せずに職務を続ける決意は本当に立派だったと思ふ。この決意がなければその後の日本がどうなってゐたかわからない。今日のブログは半藤一利の「昭和史1926-1945」を参照して書いた。

近くの教会の前を通ったらバラが咲いてゐた。