大和路 - 山田寺跡

2019-03-30 (土)(平成31 年己亥)<旧暦 2 月 24 日>(先勝 丙寅 六白金星) Holger Holmfrid 第 13 週 第 25616 日

 

3月24日のおしまひは、明日香村の方へ寄って、山田寺跡。飛鳥時代に、蘇我倉山田石川麻呂が発願して成ったお寺で、いっときは金堂や講堂など立派な建物であったらしいが、時の流れの中で廃寺となった。1975年の発掘調査で、寺域や建物の跡がハッキリして来たといふ話。その跡地には復元予想図もあった。ここを訪れた頃はもう夕方であったが、その寺域に立つと広い空の下の空気が澄んで気持ちがよかった。明日香の空気である。蘇我倉山田石川麻呂と言へば、乙巳の変でひと働きした人物。飛鳥板蓋宮大極殿蘇我倉山田石川麻呂が朝鮮三国の使者からの書を読み上げる最中に入鹿暗殺が実行されたことになってゐる。書を読み上げる声が震へたかもしれない。大化の改新で重んじられた筈の蘇我倉山田石川麻呂は、その5年後にはこの山田寺で自殺に追ひやられた。

 

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山田寺跡の復元予想図