今川節からの手紙(23)- 最終回

火 旧暦 7月29日 大安 己酉 三碧木星 Fredrika V38 25060 日目

今から89年前に、今川節作曲楽譜第27号が発行された。この号には「紅」といふ曲1曲だけが載ってゐる。作詩は藤森秀夫。手元に残ってゐる楽譜集としてはこれが最後である。今川さんが生きて居られた時代、きっとお仕事もお忙しかったであらう中から、作曲した曲を自ら謄写版で楽譜印刷して定期的に発表された。その時間の流れと同じ長さに身を置いてみるために、楽譜が発行された同じ日を選ぶ様にして、楽譜集の最後の手紙の部分だけをブログに転載することをやってみた。それも今日が最終回となる。この号が出たのは今川さんがまだ 20 歳の若さであった。今まで紹介して来た手紙が、18 歳から 20 歳の間に書かれたものであることを思ふと感慨深い。この号が出た昭和3年 (1928 年) の 8 月には文部省が、昭和天皇の即位を祝ふ「大礼奉祝唱歌」を募集し、今川さんの作品は 2 等入選した。その 5 年後には第2回音楽コンクールで交響曲組曲「四季」が作曲部門で 1 位入賞した。この様に前途は大きかったのであるが、このころから肺結核の病状が悪化して、昭和 9 年 (1934 年) 今川さんは 26 歳の若さで亡くなってしまった。家に残ってゐた今川節作曲楽譜シリーズは、生前、祖母が今川さんから、出来上がるたびに、直接手渡されてゐたコピーであった。では、その第27号の手紙の部分を以下に転載する。

作曲楽譜第二十七号に S・I

「紅」、旧作ですが之をかく事にしました。相変らずゴツゴツしたものです。この頃になって私は、自分の曲のあまりにゴツゴツして居るといふことを強く意識して、自由さ、やはらかさを得たいと、しきりにあせって居ます。理くつから作曲をやらうとした私はとうとう行きつまったわけです。「作るのでなくして生む」といふ態度で今後の作曲をつづけたいと思ひます。 この曲の伴奏は思ひきり新しく書かうとしたゝめかかへって乱雑なものになってしまひました。幸に御教示願へれバこんなうれしいことはありません。

日中は暑い暑いを連発してゐても夜は葉かげになく虫の声をきく様になりました。この暑さももう少しの辛棒でせう。お互に身に気をつけて斯道のため精進したいものです。(十八日記)