東日本大震災の遺族による損害賠償訴訟

木 旧暦 9月27日 大安 壬午 六白金星 Sabina V43 24722 日目

東日本大震災の直後に石巻市の小学校の先生たちが子供達を引き連れて動いた時、その向かった先が裏山ではなく、別の小高い場所であったのは先生たちの過失であったと遺族が訴へ、仙台地裁はその訴へを認める判決を出した。子を失った親たちの悲しみは改めて胸に迫るものがあるし、先生の責任の重さも改めて感じる判決であった。ただ、僕は、この様な天災に接した時の人の行動の是非が、人が裁く法廷で争はれることに違和感を覚えないでもない。大きな出来事が過ぎ去った時、人は何が起きたのかを次第に報道で知ることができるが、ありふれた日常生活の最中にいきなり地震に襲はれて、それが一体どの程度の範囲や規模のものかもまだ分からない最中に、千年に一度の「まさか」を予想することは難しい。過ぎ去った出来事の結末を知るものが、その、今手にしたばかりの知識を当然の前提として、出来事が起きた直後の人たちの行動を糾弾することは、やや不公平な気もする。人間には自然の脅威の発現に対して、謙虚に、運命として受け止める心構へもなければならないのではないか。