核兵器廃絶は可能か

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昨夜のラジオ深夜便で、長崎大学核兵器廃絶研究センター准教授、中村桂子氏へのインタビュー番組が放送されてゐた。布団の中で眠れなかったのでしばらくそれを聞いた。言はれることはいちいちもっともで、反論することは何も無いけれども、核なき世界はなかなか実現しない。オバマ大統領は就任後間もない2009年にプラハ核廃絶を呼びかける演説を行った。大統領は世界平和実現に一歩でも近づかうとしてあの演説を行ったのだが、その後の動きを見ると、結果的にはテロの拡大や政情の不安定に向かふばかりで、核兵器への懸念はむしろ大きくなってしまった感がある。今や核兵器超大国のみの所有するところに限らないので怖い。僕らの思考はあまりにも正しい方向から一方的にしかものを見てない様に思はれる。町に出て誰に聞いても「核兵器は廃絶してほしい」と返事をする人ばかりだが、人の心理の奥深いところには、「自分に被害が及ばないのであればあっても差し支へない」と感じるものがあって、しかし、さういふ事は言ってはいけないといふ理性が働くので、人は誰も無意識のうちにその「闇の心理」を閉ざして模範的な答へを口にするだけなのだ。これは何も核兵器に限ったことではない。新聞を賑はせる世の中の数々の事件にしても、人々は「まあ、なんて酷いことを」と叫びながら、その反面で、その様なスキャンダルを面白がる心理がある。「さういふ事は言ってはいけない」といふブレーキをはづし、被害を受けた人を思ひやる気持ちをなくしてしまへば、誰もが、あの北朝鮮の指導者とあまり変はらない心理に落ちてしまふ恐れもある。原爆の悲惨な体験をどれだけ語っても世界から核兵器が消えないのは、一般大衆の「闇の心理」がそれを助長してゐるからではないだろうか。「自分は大丈夫だろうか」と自問してみることから始めないといけないのではないかと思ふ。