今川節からの手紙(2)

木 旧暦 2月21日 仏滅 乙卯 四緑木星 Otto Ottilia V15 24166日目

コンピュータはおろか、まだコピー技術も無かった時代に、楽譜を謄写版で刷るのは大変であったらうと思ふ。かつて僕はピアノのおけいこのために、練習曲を五線紙のノートに鉛筆で写譜したことがあるが、1小節を何ミリの長さで区切るとか、結構大変な作業で、えらく時間もかかるものであることを知った。それを謄写版でやるのだから、消しゴムも使へないし、大変だったらうと思ふ。以下のエッセイは今川節作曲楽譜13. にある「春」(謡 日本少年社 曲 今川節)の楽譜に併記された「おもひで」と言ふ、実に88年前のエッセイである。

それは四年前の春でした。私の生活に小さい作曲といふ一つの仕事が芽ばえてから、私は毎日童謡の作曲をつづけました。その時は別に謡の言葉のアクセントも、リズムも形式も考慮に入れるでなく、只童謡をよんでそれにたいして私の楽想のわくまゝ、書きつけました。作るといふこと以外に自分の仕事について何も考へる事なく又苦しむことのなかったその當時の私はほんとうに幸福でした。しかしその幸福は一ヶ月とつづかなかったのです。私は私の頭の中に色々の音楽の知識をとり入れれば入るゝ程、そうしてその知識より得た力をもって自分の仕事を深く見つめれば見つむる程、そこに不満と空虚を感じだしました。私はその心をみたすべく どんなにあせったことでせう。伴奏を作らうとして山田耕作先生の「簡易作曲法」の第二編を幾回となく くりかへしたのも その時です。そうして その不満を感じ空虚を感ずる心は今も尚つづいて居ます。或は永遠につづくかもしれません。

私はこの事を經驗して特にあの作曲をやり出した當時のたのしさがなつかしまれます。私のその心はとうとうこの楽譜の一周年記念をえらんで、その當時の作曲をこゝにのせさせました。之は私が作曲をやり出して第二番目に出来た曲ですが、第一番目のは失はれて見あたりませんから(覚えてもをりません)、之が一番目も同様です。

私は今一度、単純なこの一曲をとほして幸福だった四年前の春にかへりませう。そうしてあの時のあの若さと、しんけんさをもって、まだどこまでつづくかわからない作曲の森の道に私の小さい歩みをつづけて行きたいと思ひます。 

Mar. 21st, 1927 今川節