イノベーション社会との付合ひ

月 旧暦 閏9月11日 先勝 戊寅 一白水星 文化の日 Hubert Hugo V45 24009日目

新聞を読んだり、世の中の動きを見回すと、起業家精神だとか、イノベーションだとか、英語で会議をしようだとか、再生医療はここまで来ただとか、ロボットが東大に合格出来るだとか、勇ましい言葉が踊ってゐる。まるでそんな世界に参加できなければあなたの未来はありませんよと脅迫されてゐる印象を受ける事もある。けれども、従来からあった一般的な仕事が急にごっそりと無くなる心配は無いのではないかと思ふ。また、資本主義の終焉とか言ふ言葉も耳にするが、人は生きてゐる限り、必ずどこかで何かを生産し、別のどこかでそれを消費する形は変はらないだらうと思ふ。もしも人間の経済活動そのものが終焉するのであればそれは文明の終はる時である。何を如何に生産し、どの様に自分の消費を選び取るかの判断が大事だらうと思ふ。若い人には多少の背伸びは必要かも知れないが、高いレベルが求められる社会に身を置けば、そこは大変なストレス社会である様にも思はれる。イノベーションを押し進める役割は気の強い人たちか、ごく一部の天才たちに任せてしまって、結果として現れる進んだ文明の利点を如何に上手に自分たちの暮らしや仕事に利用するかをしっかり考へることもひとつの生き方ではないかと思ふ。競争の激しい社会では、イノベーションを求めるあまり、必要でないものまで無理に発明して、便利だからと消費者を扇動する事もありうると思ふ。一般大衆が如何に賢く消費を選び取るかが明日の生産のあり方を決める様に思ふ。