見てござる

日 旧暦 5月11日 先負 庚戌 五黄土星 Eivor Majvor Pingstdagen V23 23860日目

童謡に、「村のはずれのお地蔵さんはいつもにこにこ見てござる」と言ふ歌がある。世界がインターネットでつながった現代では、ネットの向かう側にいつもお地蔵さんに変装した誰かが見てござると思はねばならない。たとひ携帯電話を持たずメールもしない人であっても、不用意に他の誰かと一緒に写真に収まるだけでその人がいつ何処に居たか、当てられてしまふことは十分あり得る。駅の改札口を抜けたところにある防犯カメラに写らない様に歩くことはむつかしい。好むと好まざるとに拘らず、僕らにはプライバシーを守ることのできない、筒抜けの時代に入ってゐると覚悟せねばならない。犯罪の無い、安全な社会の実現のためには、それは仕方の無いことかもしれないが思ひは複雑である。国によっては、情報に対する扱ひの慎重さや責任感が乏しい国もあるだらう。法の支配が守られない国、政府の統治能力の低い国、政治的に不安定な国もあるだらう。そこでは状況はより深刻な問題になりうる。現代人にとってそれより怖いのはサイバー攻撃である。何万人分のカード情報が一挙に盗まれたなどの新聞記事を時々目にすることがあるが、その都度、どうやって悪質なサイバー攻撃から身を守ることができるのであらうかと不安になる。その手口や技術は日増しに高度化して悪質さを増し、今や全く新しい段階に突入してゐると、今日の日本経済新聞の「ネットに安全地帯なし」と言ふ記事に出てゐた。これから世の中はどうなるのだらう。文明の進化や技術がもたらす変化を批判して、昔は良かったのにと懐かしがってゐても何も始まらない。我が道を行くとばかりに社会の隅っこに逃げようと思っても、安全地帯はどこにも無い。避けることのできない道、戻ることのできない道を、僕らは歩いてゐる。文明が進むと暗い面が出て来ることもあるが、基本的には、技術の進歩は人間社会を豊かにしてくれるものと信じたい。新しい技術を正しく駆使して、より確かな民主主義、より安全で豊かな社会を目指して努力すれば、未来は開けると思ふ。