日本語の将来

金 旧暦 6月30日 大安 庚戌 八白土星 Verner Valter V33 23201日目

次のオリンピックが開かれるブラジルの公用語ポルトガル語である。チリ、アルゼンチン、ウルグアイなどはスペイン語、という風に見ていくと、大航海時代以来、ヨーロッパ列強が世界各地を植民地化していった名残を地域ごとの言語にとどめていることが分かる。植民地化される前にはそれぞれの地方にはそれぞれの言語があったのだろうが、植民地化されて、彼らは自身の言語も失ってしまったのだろう。日本は明治時代に近代国家として出発して以来、ヨーロッパ列強に脅かされながらも言語を失うことは無かった。危機は太平洋戦争で負けたときに訪れた。その時アメリカには日本を英語化しようとする動きもあった。このような無謀な戦争を遂行したのは、ごく一部の指導層の人間達だけがあの漢字やカタカナやひらがなを使うのであって、ああいう変な悪魔のような文字はきっと一般国民にはほとんど知らされていなかったのではないかと勘ぐった。そしてそれならこの際、日本の公用語を英語にしてはどうかと考えたのである。だが、アメリカの偉かったところはどれくらいそれらの文字が実際に国民に広く行き渡っているか、つまり日本人の識字率をテストしてみたことである。全国の老若男女から無作為に選んで試験した結果は76点であったと言われている。それがあまりにも高得点であったために、アメリカはびっくりして日本に英語を強いることをやめたいきさつがある。どんな試験問題であったのか、僕は見たことが無いが、もしも今の日本人がその試験を受けるときっとひどく成績が悪いのではないかと思う。グローバル化という言葉がキーワードになっている現代では、日本の会社でありながら社内の公用語を英語にする会社があるという。何と愚かなことであろう。せっかく生き延びてきた日本語なのに、何もここですすんで外国語の奴隷になって自らを滅ぼすこともないではないかと思う。本当に大切なことを考えるには人間は母国語でなければできないように出来ている。日本の歴史や伝統や文学などの大切さは年をとるにつれてその実感が深まるものである。このまま行くと、グローバル化の名のもとに、日本は言葉においても植民地化されてしまう。僕はそれだけは許せない。