中島敦の「李陵」

金 旧暦 6月9日 友引 己丑 二黒土星 Marta V30 231558日目

中島敦の「李陵」を改めて読んだ。横になりながらふっと読みたいなという気がしたからだ。中島敦は若くして世を去ってしまったが、その作品には実に良く勉強した後が滲み出ていて、その淡々として引き締まった文章が読者の胸を打つ。ああいう文章を書いてしまったから死が近づいて来たのか、それとも死の近いことを予感したからああいう文章が書けたのか、人の寿命はどのように決まるのだろうかとも思った。物価が需要と供給のバランスするところで決まるように、人の寿命はその人の持つ、目に見えない二つのカーブのバランスするところで決まるような気がしないでもない。「斗南先生」もその根底に伯父への優しさが滲んでいて、繰り返し読みたくなる作品である。あの伯父さんのような人は現代の日本にはもういないのではないかと思う。そうして、中島敦のあのピーンと張り詰めた感じのする文学の流れを復活継承させる小説家の出現もまた、これから先の日本に求めるのは難しいような気がする。