さらに深刻に

火 旧暦 2月11日 赤口 己巳 三碧木星 Kristoffer, Christel V11 22678日目

福島第一発電所2号機がさらに深刻な状況になった。圧力抑制室が壊れたというのである。昨日、1号機と3号機で、原子炉建屋が骨組みだけになっている写真を見たが、たとえそうなったとしても、放射性物質が格納容器内に閉じ込められている限りは、ぎりぎりのところで、やむを得ないと言える。住民に非難してもらわなくてすむからである。ところが圧力抑制室が壊れるという事態に至れば、つまりこれは格納容器が壊れるのと同じことで、ここまで来てしまっては、原子力は住民の信頼を裏切ったといわれても仕方が無い。こうなるともう、ともかくもリーク量が最少になることを考えなければならない。かねてから僕は原子力発電所日本海側に建設すべきで、太平洋側には建設しない方が良いのではないかという考えを持っていた。津波の心配は、洋々と広がる海と、入り組んだ海岸線にやってくるような気がしたので、地図を眺めていて、何となくそのように思ったのである。けれども数年前の柏崎の地震日本海側の発電所がやられた時、僕の考えは間違っていたなと悟った。しかし、今回の事故で、再び昔の僕の考えが当たっていたかもしれないとも思いなおした。

原子力発電所は幾重にも安全対策がなされていると教わったし、自分でもそれを信じていた。例えば、起動用変圧器の他に、これとは独立した予備変圧器がある。一方の送電系統に故障があっても他方の電源で原子炉を停止することができるし、仮に両者とも使えないような場合が起きても、ディーゼル発電機の電力によって原子炉を安全に停止できる。電源系統も必ず2系統以上ある。これらが全て使えなくなるような状況はちょっと考えられない。そんな風に思っていた。ところが、津波発電所の全てがいったん飲み込まれると、これらの全てがいっぺんに使えなくなることが簡単に起きてしまった。原子炉の寿命を長く100年と見積もって、その100年の間にそのような極端が起こる場合を想定してみよと言われても、そんなことは現実味の無い意地悪な質問ではないかとばかり思っていた。けれどけれど、その意地悪な質問が現実のものになったのである。もし地震だけが起きて、津波が伴わなかったら、状況はもっとうんと軽かったと思われるけれども、そんなもしもを口にしたところではじまらない。柏崎の地震の場合はこれは想定外の揺れでした。福島の津波の場合もこれは想定外のことでした。そんな想定外の事柄がこうも頻繁におこるのでは、そもそも想定の基準を間違えていたのではないかと言われても仕方が無い。予想の能力を設計という。結局は設計が悪かったのではないかと言われても反論できないと思う。原子力発電所が建設されるまでになされる夥しい手続きの安全審査は何の為にあったのかとも思ってしまう。しかしその一方で、あらゆる「もしも」を完璧にクリアーしようと思ったら、結局は何も建設できないという結論にしか落ちない。そうなれば、結局それは文明の否定に落ちる。一列に居並ぶ原子炉が軒並み使えなくなって、どのような巨額を投じてそれらを運転再開できるというのだろうか。その前にそもそも再開が認められるのかという問題もある。もはやこれらの全ての問題の解決を東京電力1社が負担できるとは僕には思えない。国の介入が必要になるとして、はたして借金だらけの日本にそれだけの力があるのだろうか。去年は日本航空がつぶれ、今年は東京電力が危ない。その一方で電力不足の危機が現実のものとなっている。だが、これらをあまりに否定的に考え過ぎてはいけない。こういう状況の中から、明日の日本をどうすべきか、今はその出発点に立っていると思って、真剣に考えなければならないと思う。