臓器移植法改正案

金 旧暦 5月27日 先勝 乙未 八白土星 Germund Görel Midsommarafton V25 22045日目

人はいつか死ぬ。そのことを世界中の人たちは誰もが皆知っている。けれども、観念として知っていることと、切実な課題として知ることとの間には大きな差がある。スウェーデンの人たちの間に感じる死生観と、日本の人たちの間に感じる死生観との間にも何か違いがあることを感じる。それは、病院と市民との関係にも現れている。お医者さんといえども労働者としての一面があり、一般の人たちと同じように休暇が与えられなければならないと考えるのはスウェーデンである。人の命を預かる以上、医師が悠々と休暇を取ることなど許されないと考えるのは日本である。誤解を恐れずに極言すれば、スウェーデンでは、「人は死ぬ。が、運がよければ病院は命を助けてくれるかもしれない」と思われているのに対し、日本では、「病院は命を救ってくれるのが当たり前のところである。が、運が悪ければ人は死ぬ」と思われている、くらいの違いがあるのではないかと思う。

臓器提供を増やすため「脳死は人の死」とする案が衆院本会議で可決された。家族の同意で移植を可能としてしまうことも臓器移植への道を広げている。が、僕はやはりこの可決は単純に朗報といえない一面があると思う。議論を尽くせと言う意見もあるが、如何に議論を重ねても、永遠に一般的答えの出る課題では無いことが大きな困難の側面にある。