因果応報

日 旧暦 4月 9日 赤口 戊申 六白金星 John Jane 4 i påsktiden V18 21999日目

仏教には因果応報という理がある。キリスト教ではそれは薄いのではないかと思う。小さい頃には、悪いことをすると後で恐ろしいことがおこるとか、地獄の恐ろしさとはこんな風だとか、嫌というほど聞かされて育った。とにかくも恐ろしい世界があることは子供にも良く分かって、だから悪いことをしてはいけないとたたきこまれた。幼稚園の紙芝居で、イエス・キリストが十字架にかけられる物語があって、なぜ十字架にかけられたのかどうしても分からなかった思い出がある。キリスト教に触れるようになるのはもっと後年になってからであるが、その時キリスト教に新鮮なものを感じたのは、因果応報からの開放を感じたせいであったかもしれない。今のおまえが悪いのは前世が悪かったからだと教えられるより、過去は問わない、今から前を向いて生きろと教えられた方が元気が出る気がした。でも、それから何年もして、この年齢になってみると、因果応報には確かな真実があるような気がする。「天道是か非か」という嘆きも古来からあるのであるが、目に見えない糸があやつられるのは因果応報の理によってではないかと、このごろは思うようになった。