マニュアルの時代

日 旧暦9月14日 仏滅 乙酉 三碧木星 Valfrid Manfred Tacksägelsedagen V41 21796日目

同居人と一緒の飛行機で無事にスウェーデンに戻った。ヘルシンキ経由。しばらく東京に滞在した彼女に、今回の滞在はどんな風に感じましたかと尋ねてみると、店員さんたちの言葉が早口で、その言い回しが独特で、言っている内容が分からないことが多くて困ったという返事が返ってきた。今の時代には、ホテルの鍵もカードになっていたり、部屋から電話するのに、まずプリペイドカードを買って使うとか、若い人には何でもないことでも、山奥からいきなり現代の東京に現れたような熟年の人間にはまごつくことがあるのも事実である。そういえば僕も秋葉原電気店で、支払いを済ませた後でひとつ質問したら、「領収書を見れば書いてあります」という返事が返って来た。これなども、正しくは返事をしてから、「領収書にもそのように印刷しておりますからご覧ください」というのが、まともな商人の感覚ではないかと思ってしまうのである。本人はそういうことにつゆ気がつかないだけで、悪気があるわけではない。自分が相手であったらどう感じるであろうかと思うだけの気配りがないだけの話である。若い店員の多くはマニュアル通りの科白を一方的に機械的に口にするだけで、自分の言った事が相手に分かったかどうかは無頓着である。大げさに言えばそこにはコミュニケーションの断絶がある。そもそも古来から物の売買という局面はかけひきを伴い、コミュニケーションを必要とするかなり高度の人間的行為であった。しかし今では、機械に向かってボタンを押すだけで欲しいものを買うことが出来る。それで現代人のコミュニケーション能力は低下した。社会で何か問題が起こると、その当事者は果たしてマニュアル通りにことを処理したかということが新聞などで問題になる。そこにはマニュアルさえ守っていれば問題は起きないはずであるというような誤った思い込みが跋扈している。それで役所も会社もマニュアルの整備を重要視する。一方、新入社員はマニュアル通りに動けという機械的な教育しか受けていないから、状況に応じた適切な応対をする能力が育たない。旅行案内書ですら「地球の歩き方」とかいう本があって、タイトルそのものがどこかマニュアルっぽい。そういうタイトルにしなければ売れないのであろう。これからの人間は、「まず左足を出して下さい。次に右足を出してください。そうすればあなたは歩くことが出来ます。」とマニュアルで教えられなくても歩くことが出来るだろうか。「まず息を吐いてください。それから息を吸ってください。こうしなければあなたは死んでしまいます」とマニュアルで教えられなくても生きていくことができるであろうか。店員さんの応対からそんな風に想像が広がってしまった。