「尚志仁誠」読後感

土 旧暦1月10日 仏滅 丙戌 ニ黒土星 Julia, Julius V07 21557日目 -7.3℃

前回日本に行った時にある人から「尚志仁誠」というご本をいただいた。戦後関西で印刷業の発展に大きく寄与された方の自分史である。いただいたお礼の気持ちをこめて、読後感をブログに書きたい。個人の歴史を通じて見たその時代の歴史というものは、教科書で学ぶ歴史よりも生き生きしていると感じた。あの戦争とはそれぞれの個人にとってどういうものであったのか、十人寄れば十人が別々のことを語るかもしれないが、そのどれもが真実であろうと思う。水蜜桃を荷台に積んだトラックで広島の焼け跡直後に入る光景はまるで映画でも見ているようであった。平和な現代に生きる僕達には戦争の時代は何か特殊な期間であったと思いがちであるが、もしかするとそれほど特殊な期間ではなかったのではないかとも思う。今は空襲もないし、赤紙がくることも無い。けれども毎日が生活しなければならない忙しさでどこか活気を帯びている町の様子というものは、当時も今もさして変わらないのではないかと思う。むしろ昔の方が切実であった分、気力がみなぎっていたかもしれない。戦争当時の市民の様子は僕らが思い描くほど灰色の日常では無かったのではないかとも思うのである。故郷の美しい山河が人格形成に大きく影響するであろうことも分かる気がした。僕は「昔の人は偉かった」とか「いまどきの若い者は」とかは、極力思わないようにしている。むしろ、若い力に期待し、希望を託したいと常々思っている。けれども、一般国民の漢文の素養というものは、時代が下がるにつれて、落ちる一方ではないかと思うことも事実である。書名が暗示するように、この本の著者は漢文の素養が深く、随所にそのことが感じられるが、それはもはや今の僕達から失われつつあるものである。現代では小学校から英語を学ばせようという傾向もあるが、むしろ国語教育の充実、漢文教育の復活こそは、今の日本の最も大事な方針であるべきだと思う。学校でいじめとか陰湿な問題が起こるのも、社会で残忍な少年犯罪が起きるのも、つまりは家庭と学校での国語教育の貧困から来るものである。読後感がなんだか自分の意見発表になりそうなのでこの辺でやめます。