フィーカに呼んでいただいて、同居人と一緒に行って来た。時々雨が降って気温も低い一日であった。直接射す光がないので15℃もなかったかな。ドライブの道すがらに窓から見える木々の緑がこの頃は深みを増して、それでゐてやはり薄い色や濃い色が複雑に混ざりあひ、さらにそれが雨に濡れてひときは美しく映えるのだった。同居人は何度も「綺麗ね」と声を上げた。呼んでいただいたお宅はいつものことながらどのお部屋も綺麗に飾られてゐて、どの鏡もピカピカだし、サイドボードに並べられたグラスや飾り物も配列のセンスがとても良い。このような美しい住宅に暮らすなら、毎日の生活も張りのあるものになって、生活の質が高まるような気がした。僕らの目には見えない神様(と安易に口にして良いのかどうかわからないが、西洋的な一神教の神様と云ふよりは日本で言はれる神様である。日本では家のあらゆる場所に神様がおはしますと考へられてゐる)もこんな場所を好まれるような気がする。さう思ふなら少しでもそれを真似れば良いのだが、我が家ではなかなかこんな風にはいかないものだ。やはり狭い家に住んだなら、まづ持ち物を捨てることを考えないといけないのかなと思ふ。机の上にものを置くにしても、その置き方をいちいち意識することが大事かなとも思ったりする。それはなんだか本を読みもしないくせに本屋さんへ行くのが好きで、たくさんの本の背表紙だけ眺めて帰って来た時の気分に似てゐる。掃除をするだけでも結構手間がかかるのに、整頓まですることになると大変だなと思ふ。このお宅に来るたびにいつも考へさせられてしまふことだ。ともあれ、さうした美しい部屋でコーヒーやクッキーやアップルパイなどをいただいて、何を話すと言ふでもないのだが、結局2時間以上もお邪魔してしまった。同居人もその時間を楽しんでくれて、ありがたい一日を過ごすことができた。
