宮本久先生のお葬式

金 旧暦 10月12日 先負 丁酉 九紫火星 Mårten V45 24736 日目

宮本久先生の昨日のお通夜、今日のお葬式に参列して来た。お天守の観光ボランティアをされてゐた宮本先生は先月末、ご自宅で脳梗塞で倒れ県立病院に入院された。その後いっときは意識も戻られたのだが8日永眠された。86歳。長く福井県内の高等学校で先生をされた。藤島高校では教頭もされたが、僕が在校生であった頃はまだ赴任される前であったから、学校で直接教へを受けたことはない。定年後は丸岡城の研究をして、昨年「越前丸岡城と歴代城主」を上梓された。その改訂版を出さうとされてゐたところであったとお嬢様から伺った。また、ハマトビムシ分類学的研究で国際的に論文発表をすると言ふ一面もお持ちであった。昨年奥様が車椅子生活になってからは、日々の家事と介護を一手に引き受けられてゐたともお聞きした。

宮本先生のご両親と僕の祖母は昵懇であったらしい。祖母は明治、母は大正の生まれだが、祖母は大正、昭和初期にかけて、教員をしながら女手一つで母を育てた。ご両親にはいつも励ましていただいたのではないかと推察する。ともかくも親戚同様のお付き合ひであったらしいから、我が家には宮本先生をお慕ひする家風の様なものがあるのを感じて僕は育った。後年、僕がスウェーデンから出張して福井に来て仕事をした時に、挨拶に行ったら奥様の手料理でおもてなしを受けたこともある。それで日本に来るたびに宮本先生に挨拶に行くことにして来たが、今回が最後になってしまった。