この子らを世の光に

土 旧暦8月19日 友引 丙寅 四緑木星 Mikael, Mikaela V39 21417日目 12.0℃

週末の朝、早く目が覚めて、けれどもすぐに活動を始める元気も無く、テレビのスイッチを点ける事がある。するとこの時間帯は結構良い番組をやっていることが多く、今日はNHK特集から「ラストメッセージ第6集 この子らを世の光に」という番組を見た。障害者と健常者とが区別されずに生活できる社会の実現のために自分の人生をかけた糸賀一雄と、その考えに共鳴した人達とのお話であった。社会の本当の豊かさとは何か、改めて考えさせられた。日本という国にはこのように尊敬すべき人物がきっとたくさん居るのに、その努力はどれくらい社会の中で認められるのであろうか。個人の努力や情に頼らずに社会の制度として弱きものを助けていくという風土は日本にはまだまだ乏しいように思う。まだ、というより、むしろ後退しているのではないかとさえ危惧されるフシもある。

それにしても、「この子らを」、もうこの五文字の中に子供たちへの愛情が注がれている。 "These children" と言えば、同じことなのかもしれないが、英語では対象として子供たちがそこにいるということは分かっても、語り手がどのようにその対象を思っているのかまでは表すことができないような気がする。「ら」は単に複数を表すというより、尊敬を含まず、その分身内である親しさの表現ともなっている。「生きること」、「死ぬこと」をどのように見つめるか、日本人と欧米人とでどこか違うのではないかと感じることがあるが、その死生観の違いの基底にあるものは日常の何気ない言語生活のもたらす意識への効果の違いではないかと僕には思われる。

短き日 光のうちに 暮れにけり