物語が生まれない時代

金 旧暦 4月18日 先負 丁亥 九紫火星 Ronald Ronny V20 23837日目

日本人は物語を歌で残すことをしなくなったのだらうか。童謡であれば「牛若丸」、「一寸法師」、「花咲かじいさん」など。戦記物であれば、「水師営の会見」、「広瀬中佐」、「戦友」など、皆物語をなしてゐる。古いところでは「桜井の訣別」もさうだ。「みかんの花咲く丘」だって「里の秋」だって、物語性がある。大抵の唱歌は物語を歌で表してゐる。歌謡曲でも、何日か前にブログに書いた「愛ちゃんはお嫁に」などは物語性がある。「花の首飾り」だって物語だ。でも最近の歌で物語性のあるものはあるだらうか。物語が歌にならないと言ふより、僕たちは「物語を生きる」ことをしなくなったのかもしれない。「愛ちゃんはおいらに嘘ついた」、、愛ちゃんにだって言ひ分があるだらうが、大抵の男は、愛ちゃんはきっと涙ながらに「堪忍してね」と言ふだらうと想像する。そこにひとつの物語があるのだが、これが現代の女性だと「冗談じゃないわよ、嘘つきだなんて人聞きが悪い。そっちがグズグズしてるからいけないんでしょ」と言ふ感じになる。やっぱり今は物語が生まれない時代であるのだ。