雨の歌

土 旧暦 7月5日 大安 丙申 四緑木星 Uno V32 22467日目

雨男にこだわるようだが、やはり僕は雨男である。例えば八代亜紀が「雨雨降れ降れもっと降れー」と歌ってもそのせいで雨が降ることは無いんじゃないかと思う。「私のいい人つれて来い」などと、その動機が不純だからである。では、童謡であったらどうだろう。「雨雨降れ降れ母さんが蛇の目でお迎えうれしいな」 今の時代に蛇の目はもはや見かけないし、そんなにやさしくて暇があってしかも上品なお母さんはなかなか見かけないから、昔ならともかく、今はこの歌で雨を降らせることは出来ないんじゃないか。それでは西洋音楽で迫ってみよう。どんなバイオリンの名手がブラームスのバイオリンソナタ第1番を演奏してもやはりそのせいで雨が降ることは無いんじゃないかと思う。バイオリンとピアノの対話がうまく行けば行くほど、それは二人の世界に埋没していって、二人の心的風景としての雨の歌は完結しても、外のお天気などまるで意に介さないのである。そうなると結局音楽で雨を降らせることは難しいんじゃないかと思う。今日の午後、自分の家を引き上げて自転車で福井に向かった。いつもとは違う少し遠回りの道を選んだら、途中に「開高健文学顕彰碑」があったので、寄り道した。あの人も若くして逝った人である。顕彰碑には「悠々として急げ」と書かれていた。感じるところがあった。すると間もなく雨が降って来た。それも進むほどにひどくなった。あわてることなく悠々として急いだら、福井の旅館に着いた時にはずぶぬれになった。母校の前を通過する時バッテリーも切れて自転車は重くなり、トホホの到着であった。