屋根の落ち葉集め

2024-04-19 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 11 日>(先勝 癸丑 二黒土星穀雨 Olaus Ola    第 16 週 第 27460 日

 

家には古い大きな松がある。屋根に落ち葉が溜まる。帰って来るたびにその溜まった落ち葉を袋に詰めてゴミとして出す。屋根で作業をするので、落ちない様に気をつけないといけない。細心の注意を払ふ。今回の滞在では何回かに分けてこの作業をした。雨の日はトタン屋根が滑るので作業ができない。気温が高くなると暑くて作業ができない。老齢なので休み休みやる。作業は延ばし延ばしになった。それでも今日なんとかひと段落ついた。去年の秋の大風のせいだらうか、大きな枝が折れて屋根に横たわってゐて、これを除くのに手間がかかった。また、もう1本の枝も折れかかって、下向きにダランと下がってゐた。切り取ってしまひたかったが、なかなか切れないのでそのままにした。急ぎの用事がなければ、落ち葉集めの様な単純作業は結構楽しいものだ。綺麗になった屋根には小さな木の実か何かが残るのだらうか、スズメが来ては何かを啄む様であった。

小学校の前を歩いてみた。塀が城下町風にデザインされてあった。

 

小学時代の友と会ふ

2024-04-18 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 10 日>(赤口 壬子 一白水星) Valdemar Volmar    第 16 週 第 27459 日

 

日本に来て、昔の友に会ひたいと思っても、自分の家に来てくれる人としか会ふことができない。といふことになれば、一番会ふことができるのは同じ町に住む小学校の同級生といふことになる。といふことで、今日は小学校の同級生が5人来てくれた。男は都合が悪いらしく、女の人たちばかりであった。去年会った人もあるけど、随分久しぶりで会った人もある。もしも町のどこかですれ違っても、きっとそれとわからなかったらうと思ふ。でも、話の中に、昔の友達同士が偶然すれ違った時、ピンと来るものがあって「もしかして〇〇ちゃん?」「さうよ、あなたは〇〇ちゃん?」とお互ひにわかったといふ話も出た。僕には思ひ出せない昔の町の様子とかお店の様子なども話に出て、もしみんなの記憶をまとめ上げることができれば、大きな情報になるかなと思った。楽しいひとときであった。

僕らが出た小学校はこのお城のふもとにある。

 

高校時代の友と会ふ

2024-04-17 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 9 日>(大安 辛亥 九紫火星) Elias Elis    第 16 週 第 27458 日

 

故郷の町に帰って来ることの楽しみのひとつは昔の友と会ふことである。ところが、色々とあって、僕はひとりで家を離れることが難しい。結果的にこちらの家に来てくれる人としか会ふことができない。ひたすら庭の草むしりをする同居人はもうそれで十分です、といふ雰囲気である。同居人の友達は東京やその他の町に住むので、僕の故郷では知人は少ない。昨夜は同居人が高校時代の旧友とzoomでお話できる様に少し手伝った。スウェーデンにゐると時差を考慮してzoomの実施時間を決めないといけないが、こちらに来れば同じ時間で話ができる。とはいへ、お互ひの時間調整はやはり難しい様である。ともかくも同居人は昨日、zoomで話をしてくれた様で良かった。老人になるとついつい人との連絡も遠ざかりがちだが、人間は社会的な動物であるから、他人と関はり、他人と協力しあふことは大切だと思ふ。ところで、今日は福井在住の高校の友達が奥さんと尋ねてくれて、同居人と僕を外へ連れ出してくれた。4人でスシローへ行った。楽しいひとときを過ごすことができた。また、先週であったか、高校時代の別の友達ふたりがやはり尋ねてくれた。この時は家で話をしたが、これも楽しかった。

家の前に花を咲かせてくれた。これはサツキ

 

國神神社の春季例祭

2024-04-16 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 8 日>(仏滅 庚戌 八白土星)上弦 Patrik Patricia    第 16 週 第 27457 日

 

昨日15日から明日17日まで、わが町ではお祭りである。町のお祭りといふより國神神社のお祭りである。子供の頃から4月は春季例祭、10月は秋季例祭と決まってゐた。今は古城まつりとか色々とイベントがあるが、子供の頃にはまつりといへば國神神社のお祭りをさした。この日が来るのが大きな楽しみであった。今日は同居人と散歩がてら出かけてみた。小さな町のこじんまりしたまつりで、行ってみて良かった。人形焼やゲームなどのお店も道路脇に並んでゐた。昔はせともの市と植木市が必ずあったものだが、今は見かけることがない。ところで、この國神神社は椀子皇子を御祭神としてお祀りしてある。椀子皇子継体天皇の皇子とのことである。昔は境内に土俵もあったと記憶してゐる。朝は雨が降ったが、昼は止んで風が少しあった。夜になると雷がなった。

國神神社春季例祭

 

映画「オッペンハイマー」を見る

2024-04-15 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 7 日>(先負 己酉 七赤金星) Olivia Oliver    第 16 週 第 27456 日

 

福井市の映画館で「オッペンハイマー」を見た。同居人と一緒に行く予定であったのだが、朝起きると同居人は「昨夜は少しも眠れなかったの」と言ふ。僕はひとりで行くことになった。他の日に変へても良かったのだが、今日は映画館の近くに来店予約を入れてある別の用事があったので、変更せずにひとりでバスで福井のエルパへ行った。映画「オッペンハイマー」を鑑賞した後の感想は複雑なものである。トリニティ実験は1945年7月16日の早朝に行はれた。夜来、嵐の様な天候であったのだが、朝になれば晴れることを弟が知ってゐて、実際その通りになったので、実験は行はれた。それは爆縮型プルトニウム原子爆弾で、後に長崎に落とされたものと同型の爆弾であった。広島や長崎の惨事を知る日本人にとってはこの実験の成功は大変辛いものがあるが、アインシュタインの E=mc2 といふ式が実証された瞬間であった。関係者は実験成功に大喜びするのだが、オッペンハイマーの心は揺れる。それは日本の犠牲者たちに対する謝罪といふかたちを取らなかったけれども、その苦悩はわかる気がした。もし、政府に迎合し、「原爆の父」として、アメリカを救った英雄としての名声を欲しいままにし、人間の良心に照らして顧みることがなければ、もっと楽な人生を送られたかもしれない。しかし、オッペンハイマーは苦悩した。その苦悩といふのは過去への後悔といふよりも未来への憂慮といふ形で現れた。「もし我々が『何が正しいかは私たちが知ってゐる。君たちがこちらの言ふことを聞かなければ原爆を使ふことにするよ』と言ふとすれば、我々の立場はきはめて弱いものとなり、成功はしないだらう」とオッペンハイマーは考へた。この憂慮はそのまま現代まで続くかたちとなってゐる。核の時代の百年の憂ひを、実にオッペンハイマーはトリニティ実験の直後から憂へてゐたのである。オッペンハイマーは世界中の国々の科学者が緊密に連帯し、原子力を一国のものではなくきちんとした国際管理のもとに置くべきであると考へた。現実政治の仕組みをよそに、あまりに純粋でありすぎた彼の理想は挫折する。だが、その素朴な考へに立ち返ることができなければ、現代の我々を覆ふ核の時代の諸問題は解決の糸口をつかむことができないのではないだらうか。「広島を壊滅させた男」といふだけの見方ではあまりにもこの人を一方的にしか見てゐないと僕には思はれる。

町の中を走る北陸新幹線の高架

 

昔の思ひ出

2024-04-14 (日)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 6 日>(友引 戊申 六白金星) Tiburtius    第 15 週 第 27455 日

 

春の陽気に誘はれて少し散歩してみた。どうかすると汗ばむほど暖かであった。知らないうちに新しい家やきれいなアパートがたくさん建ってゐた。ふと思へば、僕が子供であった頃はこのあたりはずっと田んぼであった。家の裏には小さな川が流れてゐるのだが、その川の対岸はもう田んぼで、田を耕す牛が目の前まで来たものだった。田んぼはずっと向かうの山の麓まで続いた。絶景であった。夏休みの宿題には絵を書いたが、この遠くの山までずっと続く田んぼの風景を写生することが多かった。そんな田んぼの中を今僕は歩いてゐるのだなと思ふと妙な気分になった。山の方に目をやれば、麓を走る自動車が垣間見える。北陸自動車道である。少し北よりの場所に丘の様な小さな山があり、そこは昔、焼場になってゐた。その丘からうすい煙が立ちのぼるのが家の裏から見えた。そんな日は、ああ、今日は誰か亡くなったのだなと分かった。夏の夜には家の裏の小川に蛍が群れ飛んで、何だか風情があった。みんな遠い昔の思ひ出である。

散歩の時に。左の白い建物は福井県立丸岡高等学校。昔はもっと町の中にあった。

 

是非もない

2024-04-13 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 5 日>(先勝 丁未 五黄土星) Artur Douglas    第 15 週 第 27454 日

 

「是非もない」と言へば、「さうなってしまったのなら仕方がないさ」といふ響きがある。織田信長が本能寺で明智光秀の謀反を知った時、信長は「是非におよばす」との言葉を発したといふ。この言葉の元々の意味は「良いも悪いもない」といふ意味であると思ふ。今週の日本経済新聞木曜日夕刊の森岡正博氏の「誕生肯定の難しさ」といふ読み物も面白かった。文中にある「もし、私が生まれてきたことに良いも悪いもないとすれば」といふ仮定が深遠なのである。実は、世の中のあらゆる事象について、「良いも悪いもないのだよ」といふ視座を据えてみることは意外と大事なのではあるまいか。ダーウィンが進化論を唱へた時、当初、簡単には世に受け入れられなかった。適者生存の原則には冷たい掟を感じる一面もある。だが、何のために進化するのかといふ意図などは実は何もないのだよと思ってみることで、救はれた様な気持ちになることはないだらうか。プーチンみたいな指導者が世の中に出現することについても、気候変動で人類の前途に注意信号が点ってゐることについても、一旦は「良いも悪いもないのだよ」といふ認識を持ってみることは意外と大事なのではあるまいか。そんな視座から出発して、私はやはりかう思ふといふ筋道を考へれば、それはひとつの考へとして深まっていく気がする。今回、日本に来てホテルやお店で若い人の接客態度に違和感を感じたことがあった。一瞬ムッとなったけれども、それで怒るのではなく、「良いも悪いもないのだよ」と思ってみるだけで、怒りは和らぐ気がする。「物事にほんの少しでも欠陥があれば、それだけですべてがダメになる」といふ発想から自由になるためにも、一旦は「良いも悪いもないのだよ」と受け入れてみることは大事かなと思ふのだ。

昨日行った公園で