平家物語 巻第四 「南都牒状(なんとてうじやう)4」

2023-01-09 (月)(令和5年癸卯)<旧暦 12 月 18 日>(大安 丁卯 四緑木星)成人の日 Gunnar Gunder 第 2 週 第 26998 日

 

<興福寺から園城寺への返事の手紙の続き>

 

ところが去る平治元年十二月、後白河上皇が一度の戦争(平治の乱のこと)の功労に感心して並びない賞をお与へになってからといふものは、清盛は高く相國にのぼり、護衛人付きの身分になりました。男子が生まれれば大臣や近衛の大将に連なりました。女子が生まれれば中宮織や准后の宣を受けられました。群弟庶子は皆公卿となり、その孫、かの甥、ことごとく国司に任じられました。そればかりでなく、日本全土を頭領し、百官の任免を意のままにし、国家の奴婢を個人の召使ひにしました。毛筋ほどでもその心にたがへば、王侯といへどもこれをとらへ、片言耳に逆らへば公卿といへどもこれを逮捕しました。こんなふうな次第でしたから、あるひは一旦の身命をのばさうとして、あるひはちょっとの間の辱めを逃れやうとして、万乗の聖主猶面前に媚びへつらひ、藤原氏のやうな重代の家君すらかへって膝行の礼をとる有様です。代々相伝の家領を奪はれても、上宰も恐れて何も言はず、宮々は相承の庄園を取られても、権威にはばかってものをいふこともありません。

気温は上がったけど、気圧は低めで、雲が地上に降りてきた様