子どもたちの学力

2022-12-29 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 12 月 7 日>(赤口 丙辰 八白土星) Natalia Natalie 第 52 週 第 26987 日

 

量子コンピューターだとか、AI だとか、再生医療だとか、新薬の開発だとか、ともかくこの頃の技術はすごい。毎日使ふスマホだって、その中身の技術の深淵さに気づかないままで過ごしてゐるだけである。こんな社会ではみんなどんなふうにして働くのだらう。何だか今の世の若い人たちが、右を向いても左を見ても、皆偉く見えてくる。でも、またその一方で、日本語で書かれた教科書が読めないとか、算数の問題の文章を正しく理解できない子供が増えてゐるとかいふ新聞記事を目にすることもある。すると一体、今の若い人の平均的な学力ってどの辺にあるのか、さっぱりわからない。できる人とできない人との間にものすごく大きな落差がある様に感じてしまふ。その差は何年か後には大きな貧富の差になって現れると思ふ。ひとつだけ思ふことは、教科書も読解できないレベルで学校を出てしまふと、本人も辛いだらうし、社会としても大きな損失だと思ふ。小中学校の先生たちは毎日とても忙しいと聞いてゐるが、そんな忙しさの中で育った子供たちの学力が低いのであれば、何か根本的に制度を変へないといけないのではないかと思ふ。何も競争を促すのではなくて、何も高い教育を目指すのではなくて、ただ、人の愛がわかって、普通の生活レベルのことが読み書きできるレベルで良いのだ。自分の頭で考へて、自分で自分の人生を切り開くことができるのなら、学力なんて関係ないのかもしれないけれど、、。どんな社会であっても自分さへ這ひ上がれればそれで良いとか、狭いことを思ってはいけないのではないか。世界の中で日本円が安いとか、日本経済が弱くなったとか言はれてもそれほどには心配しないのだが、もし日本の子供たちの学力が一般に低いと言はれると、ひどく心配してしまふ。杞憂であるなら良いのだが。

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