天の心と因果応報

2022-07-07 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 9 日>(友引 辛酉 七赤金星)小暑 上弦 Klas 第 27 週 第 26818 日

 

2011年に東日本大震災が起きた時に、石原慎太郎都知事はあの震災は日本人に対する天罰であると言った。その発言には批判が集中したようであるが、それは内心でドキッとした人が多かったことの裏返しではなからうか。たとえ聖人君子だけでなる国があったとしても、長い年月が巡れば、地球内部の運動によって地震や噴火が起きることは避けられない。その時は善人も悪人も皆一緒にやられてしまふのであって、それは天罰でもなんでもないと思ふ。何か起きて欲しくないことが身近に重ねて起きたりすると、人は自分たちのやり方が悪かったからではないかと反省する。神秘的な因果応報を過剰に敏感に想定してしまひがちだ。その弱みにつけこんでくる宗教もあるかもしれない。しかし、統計的な計算によれば災禍の事象が重なることもあるだらうし、自分の直感だけで因果応報を勝手に推定するのは正しい態度とはいへない。因果応報は誰の目にも明快な形をとって現れるものではないかもしれない。と一方で思ふのではあるが、またもう一方では、自分には自分に相応しい運命が与へられるものだといふ信念もある。また、どんな統計的な計算も全て天心のうちにあるとも考へられる。天心は蒼々として測りがたし。測りがたい天心を憶測しようとするところに人の傲慢があるのかもしれない。

七夕の今日は雨がよく降ったが、夕方になって晴れた。