平家物語「法皇被流 3」

2022-06-11 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 13 日>(大安 乙未 八白土星) Bertil Berthold  第 23 週 第 26792 日

 

鳥羽殿といふ場所はどこにあったのか、詳しく知らないけれども、京阪七条から鳥羽街道まで京阪電車なら5分くらいで行く。また、京都駅から近鉄上鳥羽口まで行くのも5分くらいである。およその場所はその辺で、距離は法住寺殿から3キロメートルほどではないかと思ふ。歩いても大した距離ではない気がする。都の外れとはいへ、鳥羽離宮保元の乱の前までは御所として機能した場所ではないかと思ふ。今は人もなく、そこは本当に寂しい場所かもしれないけれども、かつての堂々の離宮には相違ない。清盛にしてみれば、法皇を近郊の鳥羽離宮へお遷し申し上げたのは乱暴だったにせよ、のちに平家物語で「法皇流され」と大袈裟に書かれることになるのは心外であったかもわからない。ともあれ、平家物語に戻ります。

さて、後白河院は鳥羽殿へお入りになると、どこからどうやって紛れ込んだのだかわからないのだが、大膳大夫信業といふものが、御前近くにウロウロしてゐた。法皇は声をおかけになって「私はきっと今夜殺されるだらう。その前に行水をしたいと思ふのだがどうしたら良いだらう」と仰せになった。信業は今朝から心も上の空でぼうぜんとしてゐたのだが、このお言葉をお聞きすると「もったいないこと」と感じ入って、狩衣にたすきをかけ、雑木の垣根を壊し、広縁の下の短い柱を外して割って、水を汲みいれ、体裁だけはお湯の用意をしてさしあげた。

こちらの空は晴れてゐるのにあちらから雨雲が接近するような天気がこの頃多い。そしてまた晴れる。