Håll Sverige Rent dagen

2022-05-07 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 7 日>(仏滅 庚申 九紫火星) Carina Carita 第 18 週 第 26757 日

 

昨日までは五月晴れの良いお天気が続いたのだが、今朝起きて窓の外を見ると歩道が濡れてゐた。霧のような雨。ラジオをつければブラームスの音楽が流れてきた。さうか、今日は Johannes Brahms の誕生日であったか、このままこの音楽を聞きながら寝て過ごしたいなと思ったのだが、さうもしてゐられない。と言ふのは今日は Håll Sverige Rent といふ団体が呼びかける社会奉仕の日だ。日本と違って同調圧力はないから、奉仕に参加するもしないも全くの個人の意思による。海辺は今、かつてないほど汚れてゐる。海にたどり着くゴミのほとんどは陸から来るものだ。皆さん今年は近くの海辺のゴミ拾ひをしませうといふ呼びかけである。参加する意思を前もってメールで連絡しておいたので、ゴミ袋や手袋が送られて来てあった。連絡せずに参加することももちろんできるのであるが、さうすると、当日の気分でやめることもある。やはり前もって「参加します」と意思表示をしておくことは大事かなと思ふ。そのゴミ袋や手袋を持って、同居人と一緒に6キロほど離れた Strandstuviken へ行ってみた。キャンピングカーが数台止まってゐた。ゴミを拾ふにも注意事項がある。滑りやすい場所もあるので安全に気をつける、鳥たちの憩ひの邪魔をしない、フィーカを忘れない、などの注意事項がある。海岸を歩けば、思ったほどゴミが落ちてなかった。少し遅く行ったので他の人が綺麗にしてくれた後であったのか、もともとゴミが少なかったのかはわからない。ともかくも集められるだけ集めて家に帰った。同居人はこのような奉仕に参加するのが大好きで、いつも家にしか居ない僕が海辺に誘ひ出したものだから大喜びであった。せっせとゴミを拾ってくれた。良い性格である。ところで、このような活動は、多分社会を良くするのに役立つと思ふ。3,5%ルールといふのを聞いたことがある。バタフライ効果といふ言葉も聞いたことがある。だが、僕の場合は、社会が良くなるかどうかを大上段に構へて議論するよりも、まづ、自分の身近なところ、「いま、ここ」を個人のレベルで綺麗にすることが大事だと思ってゐる。

Strandstuviken の海辺にゴミはあまり落ちてゐなかった