平家物語「燈籠之沙汰」

2022-03-09 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 2 月 7 日>(友引 辛酉 四緑木星) Torbjörn Torleif 第 10 週 第 26698 日

 

平重盛といふおとどは、滅罪生善のお志が深いお人であったので、来世での幸不幸を心配して、東山の麓に四十八間のお寺を建てられた。六八弘誓(ろくはつぐぜい)の願と言ふ、弥陀が民衆を救はうとする四十八の誓ひになぞらへて、四十八間といふサイズになったのである。その一間に一つづつ、四十八間に四十八の燈籠がかけられた。すると、そこは極楽の九品の蓮台が輝くようで、その光り輝くさまは鳳凰を刻んだ鏡を磨いたようであり、あたかも極楽のすぐそばに来たような感じになるのだった。毎月十四日と十五日には、当家他家の人々の中から、見目麗しく若く盛んな女性たちを呼び集めて、一間に六人づつ、四十八間に二百八十八人を念仏を唱へる僧俗として配置し、この両日中は、心をひとつに集中して仏の御名を唱へる声が途絶えることがなかった。四十八願のひとつに、念仏行者の臨終に来て極楽に導くといふ願があるが、その願もここに具体的な姿をとって現れるようであり、人を救って捨てないといはれる光もこのおとどを照らすように見えた。十五日の日中が結願であり、大念仏が唱へられると、おとど自ら儀式の列の中に入って、西方にむかひ「南無安養教主弥陀善逝、三界六道の衆生をあまねく済度したまへ」と廻向発願なさるのであった。これを見る人は慈悲をおこし、これを聞くものは感涙を催した。このような次第であったので、平重盛は燈籠大臣とも呼ばれたのであった。

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午前中は晴れてゐたが午後の後半から霧がかかった