平家物語「有王 4」

2022-01-05 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 12 月 3 日>(友引 戊午 六白金星)小寒 Trettondagsafton Hanna Hannele 第 1 週 第 26635 日

 

気絶してゐた俊寛であるが、しばらくして人心地がつくと助け起こされた。「まことに汝がこれまで尋ね来たるこころざしのほどこそ殊勝であるぞ。明けても暮れても私の思ふのは都のことばかりであった。恋しいものどもの面影は、夢に見ることもあり、まぼろしに立つこともあった。身も大変疲れ弱って後は、夢であるのかうつつであるのかの区別もつかないようになってしまった。されば汝がやって来たのも、ただ夢なのじゃと思ふばかりぞ。もしこのことの夢であるなら、さめての後は何としようぞ。」有王は答へる。「夢ではありません。このようなお有様で、今までお命をつないでこられたことこそ不思議に存じます。」「いやいやそのことだが、去年少将や判官入道に捨てられて後の頼りなさと言ったらもう、どんなであったか、察してくれるね。その時には身を投げようと思ったのだが、少将は「今一度、都から連絡があるだろうから、それを待ちなさい」と慰めを言った。あてにもならない少将のその言葉を、愚かにも、「もしかしたら」と頼んで、生きて行かうとしたのだ。けれどもこの島には食べ物がない。まだ身に力があった頃は、山に登って硫黄といふものを掘り、九州より通って来る商人に会って、それを食べ物に交換してもらったりした。けれども日増しに身体が弱ったのでそんなこともできなくなった。今日のように日ののどかなる時は、磯に出て漁師に手を合はせ膝を折り曲げて魚をもらい、潮干の時は貝を拾ひ、あらめを取り、磯の苔に露の命をかけて今日まで生き長らえたのだよ。さうでもしなければ浮世を渡る手段をどうやったろうかとお前も思ふことであろう。ここで全て言はうかとも思ふが、ともかく私の家へ来なさい。」と言ふ。しかし、このお有様で家を持ってゐるとはどういふことだろう、何とも不思議なことよと思ひながら後をついて行くと、松のしげった場所に、海岸に流れ寄った竹を柱にして、葦をたばにして桁や梁としてわたし、上にも下にも松の葉をびっしりとかけただけの住まいであった。そんなもので雨や風が防げようとも思はれない。昔は法勝寺の事務を執行する役で、八十箇所あまりの荘園の事務をとっておられた。棟門や平門のうちに四、五百人の関係者に囲まれておいでであった。それがここではこのようなつらい目にあはれてゐるのは不思議なことだ。業にはさまざまある。順現(生きてゐるうちに受ける報い)・順生(来世で受ける報い)・順後(何代か後の来世で受ける報い)といふ三つの報いのタイミングがある。僧都の一生の間に、身に用いるものは大伽藍の寺物仏物でないものはなかった。信者から布施を受けてこれを償ふ功徳を営まずに来たことで、生きてゐるうちに受ける報いとしてこのような目にあふことになったように見受けられる。

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今日は小寒。雪も無く、北欧の景色とも思へない。