異常気象とどうつきあふか

2021-08-14 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 7 月 7 日> 先勝 甲午 六白金星)Uno 第 32 週 第 26481 日

 

遠い北極の氷、ヒマラヤやアルプスの氷河が溶けてますよ、といふ話を耳にして久しい。いつも、今なら努力すれば元に戻すのに間に合ひますよと言はれて来た。けれども、地球温暖化の影響はもはや、僕らの身近に、記録的豪雨や森林火災の多発の形で現れてきた。もはや後へは戻すことができないような気がする。問題の解決は難しいと思ふ。一部の人たちが努力しても、目の前の利益を守ることに忙しい自分ファーストの人たちがたくさん居るからである。もしある人が場所を空けると、あ、ここが空いてると言って無遠慮に入って来る人がある。あなたたちのために空けた場所ではないのに、といふ思ひをする人は多いのではないか。環境保護のために地味な努力をする人があると、「お、それは良いことだ。君らはそのようにやってくれたまへ」と言ってずるい道に走る人が多いのが現実ではないかといふ気がする。地球の環境を保護するために、テクノロジーでは及ばないと思ふ。人間が産業活動を縮小するしか方法はない気がする。人口の大きい国へ出かけて行って市場を求めるような経済のやり方はダメなんだと思ふ。ある意味でコロナパンデミックは新しい世の中のあり方をさぐる練習期間であったかもしれない。さらに、脱炭素社会が実現出来れば確実に環境が保護されるといふ保証もないのではないかといふことも思ふ。若い人たちの中には、「誰が地球をこんな風にしてしまったのか」と言って憤る人がある。気持ちはわかるが、実は昔の人たちだって、どの時代の人も皆、同じような気持ちであったのだ。といふことは、今、ただ憤りを訴へるだけでは何も解決しないといふことだ。話は飛ぶが、僕らは第2次世界大戦の後に生まれてきた。だから僕たちに戦争責任はないのだと言って逃げ、戦争をした過去の人たちを悪く言ふのは間違ってゐる。僕たちの身体に流れる血液の中にその間違ひを犯す遺伝子や過去の無意識の記憶が脈打ってゐるからだ。環境保護を訴へる時も、「君が悪いからだ」と言って他の人間を攻撃するよりも、そのような自分自身のうちに流れる悪いものとどのように付き合っていくかを考へなければならないと思ふ。天は何も人間をいじめようとしてゐるわけではない。天とは宇宙の善意の源なのだ。人間が悪いことをするからその当然の報ひを受けるだけなのだ。誰も身に覚へのないことではない。過去の無意識の記憶に思ひをいたすなら。白居易と同時代、9世紀前期の中国の詩人、韓愈の詩に「出門」があって、「天命は我を欺かじ」といふ句がある。ひとりひとりがこの一言に共感し、その信仰を取り戻す時、僕らが抱へてゐる状況の改善に糸口が示唆される気がする。

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初秋の空