平家物語「山門滅亡 堂衆合戦 1」

2021-05-20 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 9 日> (赤口 戊辰 八白土星)上弦 Karolina Carola    第 20 週 第 26395 日

 

さて、後白河法皇は、三井寺の公顯僧正をご師範として真言の秘法をお受けになることになった。大日経金剛頂経蘇悉地経、この三部の秘法をお受けになって、9月4日三井寺でご灌頂(密教最大の儀式で頭頂に水が注がれる)なさるといふ噂が立った。これを聞いた比叡山の大衆は怒った。「昔よりご灌頂ご授戒はみな当山でとげていただくのが決まりである。わけても山王権現がこの山で人を導き教へるのは授戒灌頂のためである。それをさしおいて三井寺でとげられるとは言語道断、もはやあの寺を焼き払ふしかあるまい」と言ふ。後白河法皇は「これはいけない」と、灌頂の準備の修行を打ち切って、灌頂を思ひ止まられた。けれどもご授戒のお志にはお変はりなかったので、天王寺へ御幸あって、そこで灌頂をお受けになった。四天王寺聖徳太子の建立にかかる日本最初の大寺である。そこに三井寺の公顯僧正をお連れになって、五智光院を建て、亀井の水を五瓶の智水として灌頂をお受けになった。ただし、玉葉によれば、後白河法皇四天王寺で灌頂を受けられたのは、三井寺での灌頂に反対されてから約十年後の文治3年(1185年) 8月であり、この部分は平家物語の作為であると、岩波古典文学体系の補注に書かれてあった。

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散歩が気持ち良い季節だが、今日などは家を出ると外気がヒヤリと感じられた。