自分にあった勉強法

2021-04-22 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 11 日> (先勝 庚子 七赤金星) Allan Glenn   第 16 週 第 26367 日

 

現代のような不安定な時代を生きていくのに一番頼りになるものは自分の頭で考へる力ではないかと思ふ。その力を身につけるには勉強するしかないと思ふ。ではその勉強とは何をどんな方法でやるのが良いだろうか。これもまた自分の頭で考へるしかないものだ。いろいろな勉強法があると思ふが、あまり周囲に惑はされずに自分に一番よくあった勉強法を見つけるのが大事ではないかと思ふ。僕の勉強法とはタイルを毎日1枚ずつ磨くような作業だ。磨くべきタイルは何枚あるのかわからない。あと何枚残ってゐるのかには目もくれずに、ただ愚直に、毎日1枚ずつ磨く。ある日気がつけば全てのタイルを磨き終へてゐた、といふようなやり方ができれば良いなと思ふ。このような方法は決して人には勧められない。勧められないけれども自分にはそれが一番あってゐる。まだ若かった時、本当は仕事もそのようなやり方でやりたかった。でも、仕事をする時は、まづ最初に全部で何枚のタイルがあるかを見積もって、それをいつまでの納期に収めるために一日に何枚はこなさないといけない、といふ風な計算をせねばならなかった。若い人の勉強法も多分それと似たような方法であると思ふ。目標を定めて期限までにそのレベルに達するといふ勉強法である。しかし、定年退職後の勉強なら期限を設けなくて良い。期限を設けなければ、それは結局だらけるといふ意見もあるかしれないが、先を急がずにゆっくりと落ち着いて毎日1枚ずつタイルを磨くような作業ができる。そのことに僕は満足してゐる。

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花冷えといふのか、桜が咲き始めたのに、淡い雪が降った。