お寺のある風景

2020-11-26 (木)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 12 日> (先負 癸酉 六白金星) Linus   第 48 週 第 26221 日

 

今から思ひ返すと、僕の生まれた町(福井県坂井市丸岡町)はお寺がたくさんある町だなと思ふ。本来は城下町であるのだが、狭い町内に驚くほど沢山のお寺がある。それも町内の人たちだけの、小さなお寺が多い。とても門前市をなす華麗な雰囲気はない。人々が信心深いからお寺が多いのか、お寺が多いから人々が信心深くなるのかはわからないが、あの町には信心深い人が多いと思ふ。あるいは人として生きるのに気をつけなければいけないことへの関心が高いのだと思ふ。少なくとも昔はさうであった。子供の頃は暗いお御堂で地獄の話とか、因縁が巡る話とか、恐ろしい話をいろいろ聞いた思ひ出もある。子供心に仏教って暗いなと思ひこんでしまった。そんな時間があったことが今となっては懐かしい。今の子供達にあの様な体験はないだろうと思ふ。スウェーデンでも教会はあちこちにある。鄙びた地方へ行っても、田園の中の、街道と街道が交差するあたりに立ってゐることが多い。昔は馬車などで、遠くから街道沿ひに人が集まって来たのかもしれない。それで、遠くからでもわかる様に塔がそびえてゐる。スウェーデンでは高い建物といへばまづ教会を思ひ浮かべる。日本のお寺はお堂の中で内面的なものを深めようとするから、目立つ様に高い建物である必要はないのかなと思ふ。それでも、奈良などの立派なお寺には五重塔や、東塔、西塔などがある。それらを遠くから眺めるのは一幅の絵になる気がする。

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午後になってわづかに日の光を見た