平家物語「一行阿闍梨之沙汰2」

2020-10-19 (月)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 3 日> (大安 乙未 八白土星) Tore Tor   第 43 週 第 26183 日

 

大衆が國分寺へ参り向かった。前座主は大いに驚いて言はれた。「天子のおとがめを受けたものはお日様やお月様の光に当たるのもいけないとされてゐる。ましてやいそいで都を追ひ出しなさいと、院宣・宣旨が出されてゐるのである。ここで時間をとってはいけない。皆さんは早く都へお帰りなさい。」さらに端の方へ出られてお言葉が続いた。「三台槐門(大臣にもなれる高貴な家柄)の家を出て、四明幽渓(比叡山の静かな谷)の窓に入って以来、広く圓宗(天台宗)の教法を学び、顕教密教の両方を学んだ。ただ我が山の興隆をのみ思ってきた。また国家をお護りする祈りもおろそかにすることはなかった。衆徒を育む志も深かった。大宮・二宮の山王もきっとご覧になったことと思ふ。身に過ちはない。無実の罪によって遠流の重科を受けるのであれば、世をも人をも神をも仏をも恨むことはない。ここまで尋ねてきてくれた皆さんの芳志に報いることは難しいのだ。」かう言って、最高位の僧の衣の色である淡紅に黄をおびた色の御衣の袖がしぼることもできないほど涙で濡らされたので、大衆もみな涙を流した。御輿をさし寄せて「どうぞ早くお乗りください」と申し上げるのだが、前座主は「昔こそ三千の衆徒の貫首であったけれども、今はこの様な流人の身となったのだ。どうして尊い修学者や知恵深い大衆に担いでもらって都に上ることができようか。たとい上るべきであったとしてもワラジなど履いて皆さんと同じ様に歩いて行くべきだ。」と言って御輿にお乗りにならなかった。するとそこに西塔の住侶、戒浄房の阿闍梨祐慶といふ悪僧が現れた。身の丈が七尺あるといふから2メートルを超える大男である。黒革威の鎧のさねの間に鉄のさねを交えて、草摺長に着て(鎧の腰の周りに垂れた裾を長めにして)、甲を脱ぎ、法師原(坊主たち)に持たせて、白い柄の大長刀を杖につき、「開けられ候へ」と言って、大衆の中を押し分け押し分け進み出て、前座主の前に出ると大のまなこをいからかし、しばし睨み申し上げてから、「その様な御心であるから、この様な目に合はれるのです。さっさとお乗りください」と言った。その迫力に圧倒されて座主は急いで御輿にお乗りになった。大衆は座主を取り戻し奉る嬉しさに、いやしい法師原ではなくて、もっと高い地位にある修学者たちが自ら御輿を担ぎ、喚き叫んで比叡山に上った。担ぐ人は交代するけれどもこの祐慶は誰とも代はらず前輿を担ぎ、長刀の柄も輿の轅も砕けんばかりに握りしめて、日吉神社の前から根本中堂までのあれほどけわしい坂道の東坂を、まるで平地を行くが如くに上りきった。

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晴れたけれどもやや風があった。