平家物語「御輿振3」

2020-09-04 (金)(令和2年庚子)<旧暦 7 月 17 日> (大安 庚戌 八白土星) Gisela   第 36 週 第 26138 日

 

「宋襄の仁」といふ言葉がある。宋の襄公は楚との戦ひで、敵の陣形が整はないうちに攻めるのは君子ではないとして、相手の準備ができてから攻めたため、破れてしまった。無用の情けをかけることを「宋襄の仁」といふ(角川必携国語辞典)。そんな言葉を思ひだしてしまふほど、山門の大衆を待ってゐたものは悲惨であった。彼らは北の門、縫殿の陣を後にして、神輿を立てて東の陣頭、待賢門より入ろうとした。すると雨あられの様に矢が降ってきた。十禪師の神輿にも沢山の矢が射られた。神人・宮仕は射殺され、衆徒の多くが傷を被った。喚き叫ぶ声は梵天までも聞こえ、大地を守る神様も驚かんばかりであった。大衆は大切な神輿を陣頭に振り捨てて、泣く泣く本山へ帰って行った。「宋襄の仁」は戦場におけるヒューマニズムの発揚であるか、単に愚鈍な作戦を軽んずるべきであるかは意見が分かれるところかもしれない。20世紀以降の、戦争といへば大量殺戮しかない現代を生きる我々には、それは愚鈍な作戦以外の何物でもない様に思はれる。けれども、君子は人の困っている時に苦しめてはいけないといふことを、戦場においてさへも徹しようとした昔の人の心の働きは僕には無視できない。戦争といふ極端な場合は別かもしれないが、日常の中でちょっとしたタイミングの差や相手の隙をついて狡いことをして悪びれない人は現代でもゐると思ふ。

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北欧の人たちの淡い色を好む感覚は、夕焼けの色と関係があると思ふ。