平家物語「御輿振2」

2020-09-03 (木)(令和2年庚子)<旧暦 7 月 16 日> (仏滅 己酉 九紫火星) Alfhild Alva   第 36 週 第 26137 日

 

唱は神輿の前で畏まって申し上げた。「衆徒の皆さんに向けて源三位が申せとのことです。このたびの山門のご訴訟は、道理にかなってゐることはもちろんです。朝廷のご裁断が遅々としてゐることはよそ目に見ても残念に思はれます。さうであるからには、神輿を入れようとされることに少しも異議はございません。ただし頼政は無勢です。もしここで、さあどうぞと門を開けて皆さんをお入れするなら、後になって京童たちが、「山門の大衆は目尻を垂れてニコニコしながら陣を通過した」と言って、後日の難になるやもしれません。もし抵抗せずに神輿をお入れしてしまへば、宣旨に背くことにもなります。また反対に、もしここで武力で山王に手向かひすれば、年来医王山王に首を傾け申し上げて来たこの身が罰を被って、今日からは永久に弓矢の道から別れることになりませう。どちらにしても難題でございます。東の陣は小松殿が大勢で固められてゐます。その陣から堂々と神輿をお入れになってはいかがでせうか」この申し入れは現代の僕らの目からみれば虫の良いお願ひに聞こえるが、考へさせられることもある。それは、敵対する相手と交渉する時に、相手に特別の敬意を表する態度である。それはへつらひとはまた別のものである。国際関係が緊張する現代にあっても諸外国に向けてこの様なテクニックを応用しないといけない時も来るのではないかと思ふ。ところで、この時、この敬意を感じ取ったが故に神人・宮仕たちは考へ込んでしまった。若大衆どもは、「そんなことかまふものか。つべこべ言はずにただこの門より神輿を入れるべきだ」と言ったが、老僧の中に三塔一の、といふことは比叡山の東塔・西塔・横川を通して一番の、見識を持つとされた摂津竪者豪運が進み出て言った。「頼政の言ひ分は尤もである。神輿を担いで訴訟をいたすなら、大勢の中を打ち破ってこそ後代の評判も良くなることであろう。そもそもこの頼政卿は、清和天皇第六皇子貞純親王の子の六孫王よりこのかた、源氏嫡々の正統であり、弓矢をとって失敗したことがない。また、武芸ばかりでなく、歌道にも優れてゐる。近衛院御在位の時、即座に出された題で歌を詠む歌会があり、「深山の花」といふお題が出されたことがある。誰も彼もどう詠むべきか悩んだのだが、この頼政卿は

深山木のそのこずゑともみえざりしさくらは花にあらはれにけり

という名歌を仕って御感にあづかった。その様な優雅な人に、いくら時が時だからと言って、恥辱を与へて良いものか。この神輿をここは退くべきであろう」すると、数千人の大衆は先陣より後陣まで皆、尤もだ、尤もだ、と同意した。ここでも考へさせられることがある。それは、揉め事が起きた時、すぐに武力に訴へるのではなくて、歌の力、もっと言へば文化的に高い力を身につけてゐれば、解決に向かふことがあるといふことだ。現代の日本も軍備の増強の前にせねばならぬことがあるのではないかと思ふ。

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山道をのぼればまだき秋は来て くだればいまだ夏の残れり