平家物語 「願立2」

2020-08-19 (水)(令和2年庚子)<旧暦 7 月 1 日> (先勝 甲午 六白金星)新月 Magnus Måns   第 34 週 第 26122 日

 

去る嘉保2年(1095年だから時代が遡る。堀河帝の御代)3月2日、美濃守源義綱朝臣は、美濃国に新しく設けられた荘園を廃止しようとして比叡山に長く住んでゐた圓應を殺害した。日吉の社司及び延暦寺寺官30人余は義綱の処分を求めて寄せて来た。後二条関白殿(藤原師通)は、大和源氏中務権少輔頼春に命じてこれを防がせた。頼春の郎等が矢を放つとたちどころに8人が殺され、10人余りが傷を負った。社司たちは四方へ逃げ散った。比叡山の上座の僧官たちが子細を奏聞のために山から降りてくるといふ。すると武士検非違使は西坂本に馳せ向かって、これを皆追ひ返した。朝廷のご裁断は遅々としてすすまない。比叡山では七社の神輿を根本中堂にふりあげ奉って、その前で七日間大般若経をあげて関白殿を呪詛した。法会の最終日の導師は仲胤法印、そのころはまだ仲胤供奉といふ名であったが、高座に上り、鐘を打ち鳴らし「我らが幼い頃より導いてくださった神々よ、後二条の関白殿に鏑矢ひとつ放って当ててたまへ。大八王子権現」とたからかに祈誓した。するとその夜不思議なことが起こった。八王子の御殿から鏑矢の声がして、宮中に向かって飛んでいく夢を見た人がある。朝になって関白殿の御所の御格子を開ければ、まるでたった今、山から取ってきたばかりの様に露に濡れた樒(しきみ)がひと枝、刺さってゐたのである。これはそのまま山王の神のおとがめとなって、後二条関白殿は重い病にかかられた。関白の母上はたいそう嘆いて、身をやつし、身分の低いものの真似をして、日吉の社に七日七夜お参りされた。その時、仏像などたくさんのものをお供へされた。そのお心には三つのお願ひ事があった。七日に満ずる夜、八王子のお社に陸奥から参詣に来てゐた少女の巫女が突然倒れた。周りの人が祈ると間もなく息を吹き返して舞ひ始めた。人々は不思議だと思ってこれを見たが、やがて山王が下りてきてご託宣があった。「大殿の北政所が私のところに来て七日こもられた。お願ひ事は三つあって、ひとつは殿下の寿命を助けて欲しい、助けていただければ千日の朝夕のみやづかひをしますと。子を思ふあまりに、汚いことも卑しいことも忘れて千日、朝夕みやづかひするとはあはれ深いことだ。ふたつには、大宮の橋のたもとから八王子のお社まで回廊を作りますと。三千人の大衆が暑い日や雨の日に社参されるのに良かろうと。三つには殿下の寿命を助けていただけたら、八王子のお社にて法花問答講を毎日怠ることなく行ひますと。どれもこれもやってもらひたいが、三つ目の法花問答講は特にありがたい。ただ、今度の訴訟は本来ならまことにやさしい事であった筈なのに、御裁許なしに神主さんたちが殺され、傷を負った。彼らが泣く泣くまいって訴へ申すことがあまりに残念である。しかも、彼らが当たった矢は和光垂跡のお肌に立ったのだ。嘘か本当かこれを見るが良い。」と言って肩を脱ぐと、左の脇の下に大きな土器の口の様な穴があいてちぎられてあるのが見えた。

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雲の形は毎日いろいろである。