平家物語 「願立1」

2020-08-18 (火)(令和2年庚子)<旧暦 6 月 29 日> (仏滅 癸巳 七赤金星) Ellen Lena   第 34 週 第 26121 日

 

平家物語を手で写す作業は、最初のうちは意気込んだものの、なかなか先に進まない。今日漸く「願立」まで来た。鹿谷の首謀者のひとり西光の子の師高や師經が国司になって、加賀国で散々にし放題の悪さをしたので、白山中宮は彼らを訴へんとして神輿を担いで比叡山へ向かった。比叡山の白山妙利権現は白山中宮と父子の関係であったので、訴訟のことは別において、久々のご対面の喜びがあった。延暦寺では「師高を流罪に、師經を禁獄に」と朝廷に奏上するのだが、朝廷の裁断は遅々としてすすまない。昔から山門の訴訟は特別で、大蔵卿・藤原為房や太宰権帥・藤原季仲は朝廷の重臣であったにも関はらず流罪になった。それに比べれば師高などは物の数でも無いのだからすぐにでも裁断すべし、と誰もが思ふのだが、大臣は俸禄を重んじて、小臣は罪に問はれるのを恐れて、誰も何も言はないものだから、訴訟は一向に進まないのである。かつて白河院は「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」と仰った。鳥羽上皇の時代も、越前の平泉寺を延暦寺に属させたのは、「無理なことでも道理にされてしまふ」として院宣が下ったのだった。大宰権帥大江匡房は「神輿を陣頭へふり奉って訴へて来た時はどの様になさいますか」と奏聞すると、白河院は「本当に比叡山の訴訟は捨てておけないね」と仰せられた。

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天気の良い日が続く。